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毒親育ちが受ける恐ろしい二次被害

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毒親に悩まされ続けて、やっとの思いで自活できたのに、
過去の辛い思い出を忘れることが出来ず、PTSDに悩まされて苦しみ続けている毒親育ちの女性。

社会的には、親に感謝するものだという一般論がありますし、

友達からは親との楽しいエピソードを聞かされることが多いので、女性も友達に合わせて話をしています。

すると、自分の親と世間の親とのギャップに悩まされますし、

かといって、自分が親からされた虐待を打ち明けるわけにもいきません。

その度に、もしかして自分がダメな子供だったから、

親から愛されなかったのかと考えてしまい、余計に辛くなり自暴自棄になってしまいます。

毎日憂鬱に過ごしていたところ、

ネットで見つけた心理士のカウンセリングを見つけ、受けてみることにしました。

誰にも言えなかった過去を受け止めてもらえると思ったからです。

確かにカウンセラーは女性の過去を黙って聞いてくれました。

誰にも言えなかった苦しみを吐き出すことが出来て、心が穏やかになっていきました。

前向きになれるかもしれないと思えたくらいです。

しかしそのあと、女性の思いは見事に打ち砕かれました。

なぜならカウンセラーは最後にこんな言葉を投げかけてきたからです。

「いつまでも親のせいにしても始まらない。

人生が上手くいかないことを親のせいにするのは単なる逃げ。

どんな親にも良いところはある。

親には感謝の気持ちを持って接するべきだ。」

毒親育ちに投げかけられる良くあるフレーズですが、このような自己責任論は、

毒親育ちで傷付いた心を更に深く傷付ける二次加害と言っても過言ではありません。

ましてや心理の専門家がそれを言ってしまうと、

言われた方は誰に言われるよりも酷く傷つきますし、立ち直れなくなることは火を見るよりも明らかです。

女性は専門家に言われたその一言で、これまでの辛かった日々が自分のせいだと思い込み、

親には感謝しなければいけないと言われたことで、

苦しみからは逃れられないと思い詰め、ウツを発症してしまいました。

毒親育ちの女性は、散々親から苦しめられ、世間的な一般論にも苦しめられた結果、

自分で自分を責めてしまい、心の逃げ場を完全に失ってしまったのです。

よく「毒親」「親ガチャ外れた」というフレーズに対して、

「親を貶める言葉は恥」「親に感謝できない子供は悪」と、

良識を持った人たちが上から目線で批判するのを見聞きします。

しかし親とは、必ずしも人格者がなるものではありませんし、

なろうと思えば、親の意向ひとつで資格も無くなれるのが親です。

子供は親に頼んで産んでもらったわけではありませんし、頼んで育ててもらったわけでもありません。

あくまで親の自己満足のために産み育てていると言えるでしょう。

しかし社会的には「子供は親の所有物」という考え方が根深く残っています。

そのため家庭内で虐待があっても、周りはおろか行政すら簡単に踏み込めない現実があります。

こうした子供の人権問題は、未だ解決できていない部分が非常に多くあるのが現状ですし、

これは少子化問題にも相関する懸念すべき問題です。

■毒親は子供に洗脳と支配をかけている

親の支配や支配的な行動は、身体的な暴力だけでなく、心理的虐待や権限の行使によっても現れることがあります。

次に、これらの支配の形態について説明します。

1/「心理的虐待」

親が子供に対して持つ心理的な圧力やコントロールは、時には見えにくい形で現れます。

例えば、過度な批判や感情的な冷遇、無視、過剰な期待、親の希望に応えられない場合の威圧などが含まれます。

これらは子供の自己肯定感や精神的健康に深刻な影響を与える可能性があります。

2/「権限の行使」

親がその権威を行使して、子供に対する支配を行う場合もあります。

これは例えば、子供の選択肢を制限したり、親の意向に従わなければならないといった形で現れます。

子供の意見や感情が尊重されない場合、子供は自分の意志や感情を表現しにくくなります。

3/「コントロールと支配」

親が支配的である場合、子供の生活や人間関係に過剰に介入することがあります。

例えば、子供の友人を制限したり、興味や活動を制御することで、

子供が自分自身を見つけたり、自己決定する機会を奪われることがあります。

これらの形態の支配や虐待は、身体的な暴力とは異なり、外部から見えにくい場合がありますが、

それでも子供の成長や精神的な健康に大きな影響を与えてしまいます。

毒親のもとで育つということは、洗脳や支配を受けることと同義であり、

まともな判断力を養う機会が奪われる恐ろしいものです。

結果として、毒親育ちは、自分の人生を自分で選んでいいという感覚を持てなくなります。

努力すれば問題が解決するという単純なものではなく、毒親から逃げることができれば、

努力によって道が開ける可能性があるということを理解するべきです。

しかし、努力しないことを子供の怠慢とする自己責任論は、

実際にはその状況の深刻さや非情さを理解していないと言えるでしょう。

■自己責任論は机上の空論でしかない

毒親育ちは、人生の選択が出来ない状況で必死に生きてきました。

親によってレールを敷かれ、取るべき正解を決められていたという状況が、毒親育ちの通常なのです。

産まれ落ちた場所がそのような状態ですから、人生の選択をする訓練も受けていませんし、

親からの攻撃に晒されて生きてきて、そもそも生きるエネルギーがありません。

そのため毒親育ちは、自分の気持ちや感覚を麻痺させることで、

心を鈍感にして現状に適応しようとしますから、支配にも慣れてしまうのです。

そんな毒親育ちの無気力な姿を目にした人が、状況を察することなく、

上から目線で「親の気持ちに寄り添え」「親を敬え」と講釈を垂れてくるわけです。

しかし、心に傷を負っている人間に、十分な休息や回復の機会を与えず、

「受け入れろ」「強く生きろ」と言うことが、果たして最適解なのでしょうか?

毒親のような異常人格者は、残念ながらどの社会にもたくさんいます。

傷付いた心が癒えないまま、支配や洗脳に慣れ切って感覚鈍麻した毒親育ちが、

社会に出ていけばどうなるでしょう?

異常人格者の格好の餌食となり、更に違う方向から支配や洗脳を受けて、

立ち直れないほどの人間不信に陥ることは間違いありません。

また、人間関係が全て支配関係であるという負の学習は、更なる虐待の連鎖を産むでしょう。

毒親育ちが子を持つと、毒親と同じ関わり方をしてしまうのはよくあるパターンです。

このような負の連鎖は、社会全体にとって得策ではありませんし、

昨今の問題である少子化にも少なからず関係する問題だと捉えています。

■毒親育ちの生き直し

毒親育ちは、まず、自分の生きにくさの原因を、親のせいにして下さい。

「親のせいにするな」という正論を振りかざす人は、認知の歪みか無知の極みがあります。

なぜ生きにくいのか、の原因と責任の所在を、自分の中でハッキリさせてください。

毒親の何が嫌で、何が辛かったのか、

そして本当はどのように接してほしかったのか、しっかり自分に問いかけてみましょう。

嫌だったことは嫌で良いのです。

ダメなものはダメで良いのです。

無理に毒親を理解しようとしないでください。

たとえ毒親に良いところがあったとしても、

それを差し引いても余りある辛さや苦しみがあったから、親と離れようとしたわけであり、

良いところがあったら全て水に流せというのは、単なる暴論でしかありません。

毒親育ちに、外野から「何があっても親には感謝するべき」などと正論を投げるのは、立派な二次加害です。

毒親育ちが、自分から許せるようになることと、

外野が許しなさいということを、同じ括りにしてはなりません。

同じ心理を専門にするカウンセラーとして、毒親育ちの彼女が、

同じカウンセラーに依って、更なる精神被害を被ったことは、とても残念でなりません。

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