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共依存者の本心『離れたくない・捨てられたくない』

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共依存者の本心『離れたくない・捨てられたくない』

「本当はしたくない」のだけど、「嫌われたくない」から、無理に相手を受け入れたり、

自分を抑えて周りを優先してしまうというお悩みをよく聞きます。

この社会では、周囲への協調姿勢が必要な場面がありますから、

無理のない範囲で、自分を抑えて周囲への協調姿勢を示すことは大事なことでしょう。

今回の動画では、極端に自分を抑えてしまい、我慢が度を越してしまった場合についてお話しします。

この場合、どのような状態が、問題になってしまうのでしょうか?

それは、「明らかに無理をしている状態」であり、

そのことによって自分自身が、辛く苦しく感じている状態を指します。

たとえ無理をしていたとしても、その状態を自分自身で肯定出来ていたり、

自信を持っている状態であれば、多少の無理があったとしても、それは問題ではありません。

ここでの問題は、本当は苦しいのに、我慢をしてしまい、

自分の気持ちに見て見ぬふりをしてしまったり、

自身への嘘や誤魔化しが効かなくなっている状態を指します。

「こんなにしているのに理想の結果にならない」

「充分でなかったから相手は冷たいのかも」

「努力が足りないから嫌われるかもしれない」

などとネガティブに捉えて、

不安から精神的に不安定な状態になり、苦しくて居ても立ってもいられなくなります。

そんな人の思考として特徴的なことは、

「愛されるためには無理をしなければならない」

「自分を殺してでも相手に尽くさなければならない」

という極端な思い込みです。

この思い込みが大きければ大きいほど、

「受け入れてもらうために我慢しなければならない」

「愛されるために相手の理想の人にならなければ」

というように、「義務」や「我慢」を前提に相手のパートナーになることばかり考えてしまいます。

このように、そこに「自分は」存在せず、

常に「相手」が主体となって思考が回っている状態を、「共依存」と呼びます。

共依存の種類として、

「誰かを通さないと自分の価値を見出すことができない」といった他人軸的な依存や、

「相手が自分の価値を認めてくれない」という被害者的な依存が存在します。

■共依存者は自分に自信が持てない

愛するパートナーがいれば、普通なら誰でも、

相手の為に様々なものを与えたいし、与えられたいと感じるでしょう。

この状態を相互依存と呼びます。

相互依存はポジティブな関係の上に成り立ちます。

反対に、共依存はネガティブな関係の中に発生します。

楽しい時間、安らぎの時間、絶対的な安心感、揺るぎのない信頼、

屈託のない笑顔、経済的な安心、満足のいくセックスなど…ポジティブな面は挙げるとキリがありません。

与えたいものがどのようなものであれ、

「パートナーを喜ばせたい」「パートナーのことを考えられる自分が好き」という、

自分を肯定する気持ちならば、全く問題はないでしょう。

ところが、我慢が過ぎてしまう場合、

「パートナーに嫌われたくない」「パートナーが喜ばない、どうしよう」

「また一人にされてしまう」などという不安な気持ちが根底にあります。

自分自身の真の気持ちが全く尊重されていませんから、不安や焦りを常に抱いている状態になります。

このように共依存状態になってしまうと、自分に自信を持てず、

不安や焦りから相手へ無理にすがりつくようになってしまいます。

楽しく穏やかに過ごしたいのに、いつも不安や焦りに襲われてしまうため、

それらを打ち消すために、自分に嘘をついて、

「まず相手のため」という考えを先に立たせてしまうのです。

こうなってしまうと、その人間関係は負のスパイラルに陥ってしまうでしょう。

■嫌われたくないから、自分を滅してしまう

例えばこんな例が挙げられます。

あなたとパートナーとのセックスにおいて、いつも主導になるのがパートナー側だった場合。

あなたの中で、「こんなセックスがいいのに」という理想があったとします。

しかし、パートナーの求めが乱暴なものであった場合、

それに対して自分の希望を言ったり、NOと言うことが出来ません。

なぜならば、「パートナーが望むことに応じなくては嫌われる」

「拒否したら浮気をされるかもしれない」「パートナーが望む反応をしないと捨てられる」という、

負の強迫観念が働くからです。

あなたが、「パートナーとこんなセックスがしたい」

「自分の行為でパートナーが悦んでくれて嬉しい」「パートナーと一緒に悦べる」と思えるのならば、

それは大変素晴らしいことです。

しかし、「嫌われないために望まないセックスをする」、

これがどんなに苦痛で悲しいことかお分かりでしょうか。

そしてこのような負の関係に陥ってしまうと、

そこには「対等な関係」という概念は存在しなくなるのです。

そこから生まれる考えは

「我慢したのに報われない」「してあげたのに返してくれない」という、

不平等な関係とこみ上げる不満です。

果たしてそれは対等で健全な関係と言えるでしょうか?

あなたは自分が望んでいないことを、自分に嘘をついて我慢して受け入れたわけであって、

嫌ならば無理に迎合しなければよかっただけなのです。

それなのに、相手に対して不平不満を持つというのは、

その時点で健全な関係でも、対等な関係でもないでしょう。

また、こんな例も挙げられます。

お互いに共稼ぎで同じように忙しいのに、

パートナーの為にと毎日手抜きせず、食事を作ってあげている場合。

あなたが料理好きだったり、パートナーの喜ぶ顔が嬉しくて作っているのならば、

たとえパートナーの反応が思った通りでなくても、

自分がしたいことですから、特段傷つくことはありません。

しかしこれが、「パートナーに嫌われたくない」から、

無理に料理を頑張ったとなると、「こんなに頑張っているのだから評価してほしい」

「ここまでやったから嫌われないだろう」という、裏の思惑が隠れているわけです。

行動の動機が、「嫌われるのが嫌だから」「相手を喜ばせないといけない」

「頑張っているから受け入れてもらえるはずだ」となってしまうと、

相手の反応に一喜一憂することになります。

そうなると、「義務」や「役割」が前提となりますから、

パートナーとの関係を自ら不平等にしてしまうのです。

本心から自分が「やりたい」ことではないがために、

無理が祟って疲れてしまったり、報われず辛い気持ちになり、

思う通りの反応が返ってこないと焦燥感を感じるようになります。

今、例に挙げた事例は、すべて依存心が原因の、自ら招いた不幸と言えます。

■ありのままの自分で愛されること

人間の成長過程では、乳幼児期から幼少期における、

「そのままの自分で愛される」という、無償の愛と呼ばれる絶対的安心感や、

思春期から青年期における、「義務と役割を果たすことで社会性を身に着ける」

「自ら価値を見出し成長させる」という、精神的自立へのプロセスを辿ります。

そして、人間関係において、「ありのままの自分を受容し」

「ありのままの相手を受容する」という、「相互依存」のステージへと進みます。

それが人間にとって理想のパートナーシップとなるのです。

共依存的な思考が支配する関係は、自分の不安を解消するための相手という形が前提となります。

すると、我慢や不安や焦りという負の気持ちが蔓延し、

不平等で歪んだ関係になり、やがてどちらかの我慢が限界となり、破綻を迎えることでしょう。

まず、ありのままの自分自身を大切にし、次いでありの
ままの周りも大切にして、相互扶助の社会性を確立していく。

すべての人間関係は、個人の尊重がベースになりますから、

適切なバウンダリー(心の距離感・物理的距離感)を取ることは大前提です。

この精神的成長プロセスを踏んでいくことで、

ありのままのお互いを認め合い、受容し合えるようになれば、

共依存から来る今の苦しみも、心の成長に向けた一過程となるのかもしれません。

相互依存を取れる相手を見定めて、関係を構築していくことが重要ですし、

そのバランスが崩れそうになるのであれば、すぐに物理的距離を取れるよう、

精神的自立心を養っていくことが非常に大切です。

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