聞く耳を持てない人間はハラスメントに走る
最近、なにかと話題のこの方。
「X」でユーザーアカウントをブロックして、
閲覧や意見交換できないように拒絶する行為が、世間から批判を浴びている。
ご本人は「誹謗中傷者をブロックする行為は当然の権利」
「間違ってブロックしてしまったユーザーもいるかもしれない」
「そもそも誹謗中傷するユーザーがいることが問題」
という言い分を、メディアを通して披露しているようだ。
しかし、X上には「誹謗中傷の類いではなく、批判や反論をしたらブロックされた」
「何もやりとりがないのに、気が付いたらブロックされていた」と証言する声が多い。
大前提として、公人でありながら、国民のアカウントをブロックすることが、
果たして正当な行為と言えるのだろうか?
公人が「自分にとって耳が痛い意見や批判」まで誹謗中傷と定義し、
国民を片っ端からブロックするならば、それはもうタダの「裸の王様」であるし、
直接的暴力がないだけの恐怖政治と感じる。
彼は一体、誰のための公人なのだろうか?甚だ疑問である。
…と、正面から斬る考察はここまでにして。
私はカウンセラーなので、ここからは裏側から考察していこう。
カウンセリングをしていると、これに酷似したようなトラブルを良く見聞きする。
分類としては「自己愛者」によるトラブルである。
そもそも彼ら自己愛者は自己肯定感が低い。
原因は様々であるが、
その多くは人間関係のコミュニケーション不安や、不和による人間不信。
生育歴において、親からの影響や関わりから、
コミュニケーション不和の原因になり得る性格傾向が形成されていく。
成長途上で挫折を体験した際、その性格傾向から、
「自分の思惑通りではないこと」や
「理想に当てはまらないもの」や
「自分の目的を邪魔する相手」を、
高圧的に排除してしまえばよいという、極端な思考を持つ。
自分が分かり得ないことや、不安定なこと、不透明な状態が、
耐えられないストレスとなって彼らを襲う。
だから、自己のアイデンティティを守りにいくために排除するのだ。
自分を不安にさせる異論をすべて排除してしまえば、
不安定な気持ちから脱することができるし、自己愛を守ることができる。
だから彼らに「議論の余地」はない。
なぜなら議論は、妥協や歩み寄りというマイナスを受容させられることになるし、
議論して相手から反論されでもしたら、不安が増してしまいかねないからだ。
生育歴において、自分の不安を解消する方法として、
反論は上から高圧的に抑え込んでしまえばよいという、学習や成功を体験してしまうと、
そのあと、彼らはその手段を多用するようになる。
こうして立派な「モラハラ」「パワハラ」人間が誕生する。
本人にとっては正義からの行為なのだが、周囲にとっては地獄以外の何物でもない。
結論:一意見や批判を一方的にブロックして回るという、
ハラスメント行為を平然と行う人間は、そもそも公人でいてはならない。