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親を捨ててもいい。罪悪感を手放して「自分の人生」を取り戻すための心理学

人生が終わります (1)

「家族だから」という言葉は、時に温かい絆を表しますが、時に逃れられない呪縛となって人の心を縛り付けます。

特に、長年苦しめられてきた「毒親」からの頼み事、それも自分の人生を大きく揺るがすような重い願いを突きつけられたとき、私たちはどうすればよいのでしょうか。

今回は、ある45歳の女性が直面した、あまりにも理不尽で、しかし決して他人事とは言い切れない深刻な悩みについて考えてみたいと思います。

親子の縁、介護の責任、そして自分自身の人生を守ること。その狭間で揺れる心に寄り添いながら、解決の糸口を探っていきましょう。


置き去りにされた叫びと、身勝手なSOS

彼女は現在45歳。独身です。

20歳で実家を飛び出して以来、たった一人で生きてきました。

経済的な援助はもちろん、精神的な支えすら誰にも求めず、歯を食いしばってキャリアを築いてきた彼女。

その強さの裏には、決して癒えることのない深い傷がありました。

彼女の実家には、75歳になる両親と、3つ年上の兄が暮らしています。

この兄こそが、彼女の人生に暗い影を落とした元凶でした。

兄は大学卒業後、一度は就職したものの人間関係につまずき、わずか一年で退職。

それ以来、20年以上もの間、定職に就かず実家に引きこもっています。

いわゆる「8050問題(80代の親が50代のひきこもりの子を支える問題)」の典型のような家庭です。

しかし、問題はそれだけではありませんでした。

彼女がまだ中学生だった頃から高校を卒業するまでの間、彼女はこの兄から性的虐待を受けていたのです。

当時、彼女は必死の思いで母親に助けを求めました。

「お兄ちゃんが怖い、助けて」と。

しかし、母親の反応は彼女を絶望の底に突き落とすものでした。

母親にとって、兄は自慢の長男であり、溺愛の対象。

母親は「あの子がそんなことをするはずがない」「あなたの気が変になったんじゃないの?」と、彼女の訴えを一蹴したのです。

信じてもらえない悲しみ。

守ってもらえない恐怖。

何より、自分は母親から愛されていない、嫌われているのだという確信。

実家は彼女にとって、安らげる場所ではなく、恐怖と孤独が支配する地獄でした。

「ここにいたら、私は壊れてしまう」

その本能的な危機感が、20歳の彼女を家出同然の独立へと駆り立てました。

それ以来、両親との連絡は必要最低限。

冠婚葬祭以外で顔を合わせることもなく、心の距離は絶縁状態に近いものでした。

そんなある日、突然実家から連絡が入りました。

久しぶりに会った両親は、すっかり年老いていました。

そして、彼らの口から出た言葉は、彼女の耳を疑うようなものでした。

「私たちも高齢になって、もうお兄ちゃんの面倒を見るのが体力的に限界なんだ」

「金銭的にも余裕がない。貯金も底をつきそうだ」

「だから、私たちが死んだあと、あの子のことはお前に頼みたい」

さらに両親は、衝撃的な事実を打ち明けました。

引きこもりの兄は長年、両親に対して激しい家庭内暴力を振るっていたのです。

両親は世間体を気にして警察にも通報できず、誰にも相談できずに耐えてきたといいます。

「お兄ちゃんが怖くて、もうどうしようもないの。助けて」

かつて、彼女が泣きながら発したSOSを無視した母親が、今度は自分たちが被害者になった途端、かつて見捨てた娘に助けを求めているのです。

「自分たちが育て上げた兄の面倒が見切れなくなったから、今度は私に背負えというの?」

怒りと呆れで、彼女は言葉を失いました。

兄の暴力が怖くて外部に助けを求められなかった?

それはかつて、兄の性的虐待に怯えていた私と同じではないか。

あの時、あなたたちは私を見殺しにしたのに。

「産んで育ててくれた親だから、恩を返すべきなのか」

「でも、私が一番苦しかった時に助けてくれなかった人たちを、なぜ私が助けなければならないのか」

彼女の心の中で、激しい葛藤が始まりました。

いっそ絶縁してしまいたい。

けれど、世間一般の常識で考えれば、困窮する親を見捨てることは「冷酷な娘」として批判されるのではないか。

自分は間違っているのだろうか。

彼女は今、深い迷路の中にいます。


「愛のない親子」に「介護の義務」はあるのか

このケースは、単なる「親の介護」や「きょうだいの世話」という枠組みでは語りきれない、非常に複雑で残酷な構造を孕んでいます。

まず整理すべきは、両親の身勝手さの本質です。

両親は「兄」という爆弾を抱え込み、それが自分たちの手で制御できなくなった途端、安全な場所に避難していた娘にその爆弾を投げ渡そうとしています。

これは家族の助け合いではなく、責任の押し付けに他なりません。

特に許しがたいのは、過去の虐待に対する清算が全くなされていない点です。

母親は娘の訴えを「妄想」として退けました。

それは娘の人格を否定し、魂を殺すに等しい行為です。

その事実を棚上げにしたまま、「家族なんだから」というカードを切るのは、あまりにも都合が良すぎます。

しかし、彼女を苦しめているのは「世間の目」という呪いです。

「親を捨てるなんて親不孝だ」

「きょうだいは助け合うべきだ」

こうした社会通念は、健全な家庭環境を前提としたものです。

虐待やネグレクトがあった機能不全家族において、この一般論を適用することは、被害者を再び追い詰める「二次加害」になりかねません。

両親は今、自分たちが「弱者」であることを武器にしています。

高齢であること、金銭的に困窮していること、DVの被害者であること。

確かに彼らは今、支援が必要な状態かもしれません。

しかし、だからといって、その支援者が「かつて彼らが傷つけた娘」でなければならない理由はどこにもないのです。

彼女が抱く「助けたくない」という感情は、冷淡さから来るものではありません。

自分の尊厳を守ろうとする、正常な防衛本能です。

「助けてほしかった時に助けてもらえなかった」

この事実は、親子の信頼関係を根底から破壊するのに十分な理由です。

信頼関係のない相手に対し、自己犠牲を伴う献身を行うことは不可能です。

それでも彼女が迷うのは、彼女が根源的に優しく、責任感の強い人だからでしょう。

そして心のどこかで、まだ「親に愛されたい」「親に認められる良い娘でありたい」という、叶わぬ願いの残滓(ざんし)を抱えているからかもしれません。

ですが、あえて厳しい現実を言わなければなりません。

この両親は、彼女を「娘」として愛しているから頼っているのではなく、都合の良い「リソース(資源)」として見ている可能性が高いのです。

彼女の人生や幸せよりも、自分たちの老後の安泰と、息子の世話係を確保することを優先している。

その事実に気づいたとき、彼女がとるべき行動はおのずと見えてきます。


罪悪感を手放し、第三者に委ねる勇気

では、彼女は具体的にどうすればよいのでしょうか。

結論から言えば、彼女は「兄の面倒を見ることも、両親の生活を丸抱えすることも、きっぱりと拒否していい」のです。

ここに、彼女が自分を守るための具体的なステップを提案します。

1.「できない」と明確に伝える

まず、曖昧な態度は禁物です。

「私も大変で…」と言葉を濁すと、両親は「余裕ができれば助けてくれるかも」と期待し、執拗に迫ってくるでしょう。

「私には私の生活がある。兄のことも、両親の金銭的な援助も、一切引き受けることはできない」と、毅然とした態度で「NO」を突きつける必要があります。

これは冷酷なことではなく、自分と相手との間に健全な境界線を引く行為です。

2.公的な支援につなげる(これが最大の親孝行)

親を見捨てることに罪悪感があるなら、「直接的な世話」ではなく「プロへの引き継ぎ」を行いましょう。

両親と兄の状況は、もはや家庭内で解決できるレベルを超えています。

高齢者へのDV、ひきこもり、経済的困窮。これらは行政が介入すべき事案です。

まず、地域包括支援センターへ相談する両親が高齢で生活が立ち行かないこと、兄からの虐待があることを伝えます。

次に、生活保護の申請を促す:両親の貯金が尽きるのであれば、生活保護の受給を検討させます。生活保護には「扶養照会」という手続きがあり、子供に「援助できますか?」という連絡が来ますが、これには「金銭的援助はできない」「過去の虐待による絶縁状態」という理由で断ることが可能です。

「自分たちで面倒を見られないなら、行政のプロに任せる」。

これが、唯一にして最善の解決策です。彼女が身を削って世話をする必要はありません。

行政という「外部の目」を入れることで、閉ざされた家庭の膿を出すのです。

3.「物理的」かつ「心理的」な絶縁

必要であれば、電話番号を変える、住所を教えないなど、物理的な距離をさらに置くことも検討すべきです。

そして何より大切なのは「心理的な絶縁」です。

「親の不幸は親の責任」

「兄の人生は兄の責任」

そう割り切り、彼らの問題を自分の問題として背負い込まないことです。

世間の批判が怖いと感じるかもしれません。

しかし、世間の人々はあなたの壮絶な過去を知りません。

事情を知らない人の無責任な正義感に、あなたの人生を左右される必要は一ミリもないのです。

もし誰かに「親不孝だ」と言われたら、心の中でこう言い返してください。

「私は20歳まで、地獄の中で親孝行を済ませました。これからの人生は、私だけのものです」と。


あなたの人生は、あなただけのもの

今回のテーマである「親の頼みは毒親であっても受け入れるべきか?」という問いに対して、答えは明確です。

受け入れる必要はありません。

逃げていいし、拒絶していいのです。

彼女の両親は、彼女が一番助けを必要としていた時に、親としての役割を放棄しました。

その時点で、彼女が親に対して負うべき精神的な負債は消滅しています。

両親のエゴを受け入れ、兄の面倒を見る人生を選べば、彼女の未来は確実に閉ざされます。

兄の暴力に怯え、介護に追われ、自分の幸せを全て犠牲にする日々が待っています。

それは、かつて彼女が必死に逃げ出した「あの家」の地獄へ、自ら戻るようなものです。

彼女が今すべきことは、両親を助けることではありません。

過去の傷を抱えながらも、20歳から一人で懸命に生きてきた「自分自身」を抱きしめ、守り抜くことです。

「冷たい娘だと思われたくない」という思いがあるかもしれません。

でも、自分を大切にできない優しさは、ただの自己犠牲です。

彼女が幸せになること。笑顔で生きていくこと。それが、彼女自身に対する最大の責任なのです。


もし、あなたが彼女と同じような境遇にいるのなら、どうか自分を責めないでください。

親との縁を切ることは、決して敗北ではありません。

それは、あなたがあなた自身の人生を取り戻すための、尊い「自立」の最終章なのです。

窓の外を見てください。世界はこんなにも広く、自由です。

重たい鎖を断ち切った先には、誰にも邪魔されない、穏やかで優しい時間が待っています。

あなたはもう、誰かのための犠牲にならなくていい。

今日から、あなた自身のために、美味しい紅茶を淹れ、好きな場所へ行き、心から笑って生きていってください。

あなたの人生の主人公は、他の誰でもない、あなた自身なのですから。

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