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死ぬまで毒親育ち

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毒親育ち。

彼らのトラウマや生育歴に影響された歪んだ思考と人生は、

人間不信から脱せられないが、孤独に耐えられず苦しむか。

若しくは傷つきたくないがために、周りを傷つけながら人に依存する人生から抜けだせないか。

この両極端な二択となる蓋然性がかなり高い。

そして不幸なことに、往々にしてそれは彼らが死ぬまで続くことになる。

とある男性。

彼は60歳、バツ6、ひと月前に離婚したばかり。

最後の結婚で、25歳離れた妻との間に、まだ幼い幼児がいる。

離婚は妻のほうから彼に突き付けた形。

子供にも会えず、妻に裏切られた離婚だと語る。

そう。彼もまた『毒親育ち』だった。

毒親育ちの彼らは、なぜ離婚結婚を繰り返すのか。

単純に「性格の不一致」があったのかもしれない。

「お互いの人生を尊重」したのかもしれない。

しかし、話を聞いていると、「恐らくこれが原因だろう」 というものが透けて見えてくる。

それは毒親育ちが持つ大きな特徴である、「不足や不安を埋めてもらえる誰かを求める」 ところにある。

彼らが、人間関係構築の『初期段階』で用いる手段として典型的なものに、

「距離の詰め方の異様な速さ」 「取り入るために必要以上なGiveしようとする」 というものがある。

彼らにとって不安はナイフで切られるように辛いこと。

なぜなら、生育歴で経験値もないままに、毒親から不安や恐怖を与えられ続けてきたからだ。

自立したあとでも、子供の頃の忌まわしい記憶は鮮明に残っている。

そのため、ハッキリしないことや、グレーな状態を極端に嫌う。

右なのか左なのかハッキリさせたいがために、拙速に距離を詰めようとするし、YESかNOにこだわってしまう。

その手段のひとつとして、「必要以上のGive」をしようとする、というものがある。

こういう手段に初めて接した人は、

「大切にしてくれる」 「こんな優しい人はいない」 と感動し、見事彼らの術中にハマってしまう。

過去のコラムや動画で散々述べてきたように、

「誰かに心の穴を埋めて欲しい」 彼らにとって、

それは単純に自分の思惑を満たすための手段であり、純粋な愛ではない。

よって、彼らの思惑が達成されると、「途端に手の平を返す」 のだ。

術中にハマって距離を詰めてしまった人は、その掌返しに混乱して 「自分が悪い」 と思い込んでしまう。

もちろん、相手に自責の念を抱かせるような言動を取るからなのだが、

そのロジックに気が付かない人は、まさに彼らの術中にハマってしまうのだ。

それが積み重なって我慢の限界を超えてくると、それが 「モラハラ」 であることに気が付いてくる。

そしてようやく彼らと決別するに至る。

そして再び孤独になった彼らは、次の寄生先を探すべく、振り出しに戻っていく。

前出の60歳の毒親育ちも、

その思考には 「親に認められたい」 「親を見返したい」 「ボロボロな僕を慰めてほしい」

「不足を誰かに埋めて欲しい」 「安心させて欲しいし甘えたい」 「ボクは被害者」 で埋め尽くされていた。

そして彼は死ぬまでそのスタンスで生きていくのだろうし、死の瞬間さえ誰かを恨むことだろう。

自分の思惑通りに動いてくれなかった相手のことは、「裏切られた」 という形で記憶に刷り込まれる。

だから、彼らはいつもいつでも 「被害者スタンス」 にある。

この繰り返しで、次第に人生をすり減らしていく。

彼らが目をつけた相手が、

同じような人生を歩んできた 「自己肯定感」 が低い人間ならば、この時間軸が無駄に長くなってしまいがちだ。

要は寄生したい人間と、依存したい人間の相互作用で、見切りをつけて離れるまでに時間がかかってしまうから。

こうなると、時間とコストとメンタルがズタズタになるまで絡み続けるため、

ようやく離れられたとしても、年を追うごとにやり直しが難しくなるだろう。

そこまで陥ってしまうまえに、自分のアンテナに何か引っかかる不審点を受信したら、

即座に「距離を置く」 ことに尽きるのだ。

毒親育ちの彼らが悪いのではないが、

だからといって、他人の人生に寄生して依存して混乱を与えていい理由にはならないのだから。

ここでひとつ、人間関係が近くなる前に見えてくる、非常に特徴なものをご紹介する。

彼らは初期段階でいつも 「Give」 をしたがる。

自分の損(後で回収するから)をかなぐり捨ててでも、

人を助けたり、必要以上のものを与えたりして、とにかくターゲットを喜ばせたがる。

そして必ず言うセリフ、「人の喜びが自分の喜び」 。

ならば、喜んでもらえる相手がいなくなったらどうするの?と聞くと、回答がこれ。

「喜んでくれる相手がいなくなったら困る」

自分を映してくれる鏡がなければ、何も出来なくなってしまい、途端に不安に襲われてしまうのだ。

これはかなり特徴的なものであり、蓋然性が高いものでもあるので、注意してみるとよい。

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