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熟年夫婦だからこそ抱える人生の葛藤

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熟年夫婦だからこそ抱える人生の葛藤

これまで多種多様な男女問題のご相談を受けてきて、

早急に見直すべきと感じたのは、熟年夫婦のあり方に関する事例です。

「夫の存在が不可欠」「妻が一番、他の女性には興味が沸かない」と公言出来る夫婦ならば、

お互いこそが最高のパートナーと言えるでしょう。

結婚歴が長く、共白髪の熟年夫婦ともなれば、夫の仕事は定年を迎え、子供達は独立しているかもしれません。

忙しくも賑やかだった家庭生活から、夫婦二人での穏やかな生活へと変化していきます。

現実の生活が大きく変化しても、夫婦のお互いに対する価値観は変わらぬまま。

それが幸せだと感じる夫婦もいれば、漠然とした不安感や焦燥感を持つ夫婦もいます。

その不安感とは、「このまま夫婦として老後を過ごすことが良いことなのかどうかという葛藤」に他なりません。

本来老後とは、人生の自由時間であって然るべきなのに、

夫婦の片方が相手から拘束されていると捉え、不自由な心を抱えて過ごしてしまうパターン。

この夫婦の在り方を個人として考えたとき、現状維持が果たして幸せだと言えるのでしょうか?

■夫婦生活に必要なものは一方的な我慢や忍耐ではない

「忍耐力」日本人の美徳と言われています。この精神性は、昔も今も一般的に広く支持されています。

「結婚生活は忍耐力が試される試練の場」

こんな言葉がありますが、

結婚生活を円滑に維持するためには、ときには我慢や忍耐が必要となる場面も当然あるでしょう。

例えば…
内心では夫に「ふざけるな!」と怒鳴りたくなるときもあるけれど、それを忍耐でグッと堪えている。

内心では妻に「俺はおまえのATMか!」と言ってやりたくなるときもあるけれど、

言えば倍にされて返ってきそうなので、それを忍耐でグッと堪えている。

夫の帰りがいつも遅くて、実は浮気をしていることも知っているけれど、

言ったところで喧嘩になるだけだし、今の生活が保証されるのなら、見て見ぬふりの方が自分のためだ。

妻は自分より趣味が大切、自分より友達を優先にしている。

文句のひとつでも言いたくなるが、言えば喧嘩になってしまうし、黙って飲み込むほうが自分のためだ。

確かに我慢や忍耐は、ときには必要なことだけれど、夫婦が幸せになるために必要なことは、

見て見ぬふりをして、黙って飲み込むことではありません。

パートナーへ不満を募らせて相談に来る方は、

自分がどれだけ我慢を重ねてきたのかを、自己弁護のように声高に主張します。

「長い間ずっと耐えてきました。」

「もうこれ以上我慢することは難しいと思います。」

「離婚するしかないと思いますが、今後の先行きが不安です。相手から慰謝料を取れますか?」

といった具合に、これまでの苦痛を訴える悲痛な叫びの数々があります。

一見すると気の毒に感じるこれらの訴えは、確かに十分同情に値する内容でしょう。

しかし、これらの夫婦の問題は、苦痛を訴える側もまた、
問題に拍車をかける一因ともなっていることに気が付くべきではないでしょうか。

なぜならば、夫婦問題に耐えてきただけで、相手に意見を投げることもなければ、

そもそも議論さえ諦めてしまい、問題解決へ向けた努力を怠っていたからに他ならないからです。

夫婦問題は、ときにぶつかり合って感情を共有し、何を受容して何に折り合いをつけるのか、

そのような相互努力が重要なのに、その努力から逃げていただけなのですから。

そうなるとお互いの心の裏側に、表には出せない不満と憎悪が澱のように溜まっていきますから、

いずれ我慢の限界が来るのは明白だったわけです。

■今が不幸だと感じるのであれば離婚も選択肢に

結婚するまで、お互いに全く異なる環境で育ってきたのですから、思考や感情や許容点が異なっていて当然です。

それらの違いを埋め合う努力もせず、同じ屋根の下で穏やかに平和に過ごせるはずがありません。

夫婦関係で非常に重要なことは、

言い争いや喧嘩をしないことより、負の感情に対して真摯に向き合おうとするお互いの努力です。

夫婦関係に問題が生じたとき、同じ目線で向き合って如何に解決しようとリアルに歩み寄る努力です。

それはときに、双方のメンタルに大きなストレスをかけることもあるでしょう。

しかしこの努力こそが、夫婦円満へ向けた唯一の方法であることは確かなことです。

たとえ夫婦といえども、お互いに「尊重すべき個人」なのですから。

熟年に限らず、夫婦に求められる重要なことは、お互いに相手を尊重すべき個人として認め合うことです。

平等な関係が叶わない夫婦関係ならば、今後の人生を夫婦として存在する意味はないと言えるでしょう。

あなたの大切な人生を、世間体や枠に捕らわれたまま、惰性で生きることほど、辛く虚しいことはありません。

自分が我慢し続ければよい、これまでを無駄にしてしまうのが怖いと、

自己否定ばかりするのは勿体ないと思いませんか?

熟年だからこそ、もっと自分の人生を大切に考えて頂きたいのです。

残り少なくなった自分の人生を後ろ向きに生きていくのか、多少の不安はあっても前向きに生きていくのか。

ここの分水嶺は、あなたの今後の人生を、大きく変える転機となることでしょう。

このコラムを、あなたの現在、そしてこれからの夫婦関係を考える、ひとつのきっかけにして頂けたら幸いです。

また、当サロンでは、

これまで熟年夫婦の問題を多く取り扱ってきたカウンセラーが、いつでもあなたのお悩みに耳を傾けます。

身内の恥を晒すな、という考え方はもう一昔前のことですし、

ご自分の苦しみを開放する機会は、問題を大きくしないためにも、とても重要なものだと考えています。

決断をするもしないも、どちらを選択するにしても、

まずその前に、ご自身が持つお悩みをしっかり整理して臨むべきでしょう。

カウンセラーとのカウンセリングが、あなたのお悩みを汲み取り、

整理して明日を歩むための一助になれましたら幸いです。

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