妻への不信感が疑いから確信に変わったのは、二人目の子供が生まれたあとでした。
「これまで我慢してセックスしてきたけれど、希望の子供を作れたので、もう今後はセックスしない。
嫌々セックスしてきた。もう二度と私に触らないで」
妻にそう言われ、私の中で、何かが音を立てて壊れた瞬間でした。
自分にはもったいないくらいで、他所から羨ましがられるほどの、器量と人間性と外見を備えた美女の妻。
当時の私は、妻が自分と結婚してくれただけで満足でしたし、これ以上の幸せはないと思っていました。
結婚後、同居したあとくらいから、私に対して妻からの風当たりが強くなっていったことが、
妻へ不信感を感じる始まりでした。
私は一部上場企業に勤めるサラリーマンです。大学院を出てこれまで研究畑一筋でやってきました。
ヘッドハンティングされて年収が倍になったころ、妻とマッチングアプリで知り合い、
お付き合いもソコソコに結婚しました。
お互いに結婚が目的でしたし、お互いの条件にマッチした二人が、
時間をかけて交際を重ねる必要はないと、早々の結婚に合意したという経緯です。
妻とは結婚して同居後、初めてセックスをしました。私は過去の経験が多くないので、
妻を上手くリードできなかったかもしれません。
妻とのセックスは、あまり楽しい時間ではありませんでした。
きっと妻も同様に感じていたとは思っています。
愛情の交歓というよりも、義務的で目的のためのセックスだったという印象です。
それくらい冷たかったことを覚えています。
その後、妻は一人目を妊娠し出産します。
妊娠後、体調不良を訴えることが多かった妻は、
妊娠から出産後3カ月までの日々を、ほぼ実家で過ごしていました。
妻の実家は離れたところにあったため、一度帰ると長くなるという感じでした。
それでもそのようなものだと、自分に言い聞かせて受け入れてきたつもりです。
その後、妻と子は自宅に戻ってきましたが、週末の度に妻は実家に戻っていましたし、
長期の休みは半月実家にいることが多くなりました。
家族の時間を大切にしたいから家に居てほしいと提案しましたが、
実家にいるほうがメンタルの安定によいと言われると、それ以上言うことは出来ませんでした。
二人目を望んだのは、意外にも妻の方でした。
子育てが辛いと言っていたので、子供はもう望まないだろうと考えていましたら、突然セックスを求められました。
そのときの妻の様子が、少し以前とは違うなと感じたのですが、
そのときは疑いなど少しも抱いておらず、小さな違和感をスルーしたことが、今になって悔やまれます。
意外にも一回のセックスで二人目を妊娠しました。
のちになって、それは意外でもなんでもなかったことに気が付くことになります。
妊娠が分かった日の夜、妻から妊娠したと告げられた後、こんな衝撃的な言葉を投げつけられました。
その日以来、私は、何を食べても砂を噛んでいるような感覚しかありません。
それが冒頭でお話しした、「妊娠したので、もう今後はセックスしない。
これまで嫌々セックスしてきた。もう二度と私に触らないで」です。
私の人生の中で、それまで経験したことのない、言いようもない辛い言葉となりました。
こんなことを言われなければならないほど、私は酷いことをしたのでしょうか?
その日を境にして、妻は頻繁に外泊をするようになりました。
子供が小さいので、外泊は止めるようにお願いしても、聴く耳を持ってもらえませんでした。
どこに出かけるのか、どこに泊るのかを聞いても、妻は激高してしまい話し合いにもなりません。
子供の手前、喧嘩は避けたいので、言うことを聞き入れるより他ありません。
妻の様子に疑いを感じた私は、妻の行動を興信所に調べてもらうことにしました。
自分が感じた疑念をハッキリさせて、妻と話し合いを持ちたかったのです。
意外なのか当たり前なのか、答えはすぐにわかりました。
妻は浮気をしていたのです。しかも、相手は妻の元同僚だということもハッキリしました。
妻とその同僚とは、なんと私と結婚する前からの関係だったのです。
相手は子供がいる既婚者だということも分かりました。
恐ろしいことに、妻と相手の不倫関係は、私と出会うよりも前からだったことも分かったのです。
私はもう、何が何だか分からなくなりました。
不倫が事実?私と妻の結婚が事実?こんなことになるなんて思っていなかったですし、まさに青天の霹靂です。
嫌な予感がした私は、子供たち二人のDNA鑑定を依頼することにしました。
妻に許可を得ることは考えませんでした。
言ったところで、拒否されることは分かっていましたから。
自分の子供の出生を調べるなんて、後ろめたい気持ちがありましたが、
それ以上に、ここで調べておかないと、ずっと後悔を引きずったまま育てることになるからです。
結果はすぐに到着しました。二人とも私の子供ではないことが証明されました。
せめて一人目は自分の子だと期待していたのに、淡い期待も打ち砕かれてしまいました。
私はここで、妻との離婚を決意しました。離婚事由は「妻の不貞」「托卵の事実」です。
相談していた弁護士さんは、この二点だけで、離婚は十分認められると話していました。
子供がまだ幼いので、父親の記憶がないうちに「嫡出否認」の認定を得て、
戸籍から抹消する必要がありますから、とにかく時間に猶予がありません。
まず妻に不貞の証拠と、子のDNA判定を見せて、妻の反応を伺うことにしました。
妻の口から謝罪の言葉が出たら、その時はまだ許す気持ちが私の中にはありました。
しかしその予想とは裏腹に、妻は私に猛抗議をしてきました。
興信所を使って不貞の事実を調べたこと。
子のDNA鑑定は結果がどうあれ、無断で調べるなどあり得ないと。
勝手に調べたことは事実がどうあれ無効だから、離婚理由とはならないから、慰謝料は払わないとまで言われました。
妻はその勢いで離婚を承諾したので、
用意した離婚届に判を押させることが出来たのは不幸中の幸いでしょうか。
しかし後日、妻は離婚の撤回と、不倫の否定と、子供のDNA鑑定について、
その事実を認めないと主張をひっくり返してきたのです。
離婚届は撤回するので返してほしいと言われましたが、
署名してもらった日の夜に、夜間窓口に提出してきたので、離婚は受理されていると伝えると、
妻は激高して暴れる始末です。
離婚届が受理されたことで開き直ったのでしょうか。
妻は不倫を認め、子供のDNAについても、その可能性があるかもしれないと認めました。
結婚する前まで付き合っていた不倫相手と、結婚を境に一旦不倫を清算したのは事実のようでした。
しかし清算してすぐに妊娠が発覚したので、どちらの子か分からない不安は確かにあったと。
それでも私の子だと信じていたし、妊娠は素直に喜んでいたとのこと。
そのうち妻の母親が、孫は二人がよいと希望してきたため、
二人目を作ろうと考えて、セックスを再開しようとしたようです。
しかしその時には不倫が再燃していて、不倫による妊娠が分かったため、
夫の子として育てるために、私とセックスすることを考えたと告白してきたのです。
私は完全にピエロだったわけです。
妻の策略に見事利用されたことになります。
この時点で妻への愛情や許す気持ちは完全に潰えました。
ここで私は鬼と化しました。
これ以上、妻に振り回される人生を送りたくない。
そこに追い打ちをかけるように、
妻は「子供を引き取って、不倫相手と再婚する」と爆弾発言をしてきたのです。
事実の発覚を恐れた不倫相手は、妻と再婚することを約束し、
今の家庭を捨てる覚悟を示したそうですが、果たしてそれは完遂されるのでしょうか?
今後妻が子供と不倫相手とどう過ごそうと、私には関係の無いことですが、
妻の話を聞いていて同じ人とは思えなくなり、吐き気さえ覚えました。
そこから全てを整理できるまでには色々ありましたが、
結果的に不倫相手からも妻からも慰謝料を得ることが出来ました。
子供の父親という戸籍上の記録は削除され、正式に離婚をし、現在はそれぞれ第二の人生を送っています。
妻は不倫相手が離婚できるまでは実家に戻り、それなりに暮らしているようですが、
不倫相手は恐らく妻との約束を実現できないでしょう。
なぜなら、不倫相手の妻は、夫の慰謝料を肩代わりし、婚姻の継続を求めていたからです。
夫妻には子供がいましたから、離婚も簡単ではないと思います。
振り返って考えると、妻は不倫相手との先の見えない恋愛に疲れてしまい、
既成事実を作りたくて妊娠したのでしょうか?
しかし一人で子育ては出来ないし、子供には父親を作ってやりたい。
だからマッチングアプリで見つけた私を利用しようと近づいてきた。
いずれにしても妻の策略は、妻の我慢が限界に来たところでボロが出て、失敗に終わったわけです。
不幸中の幸いだったのが、私は子供たちの遺伝子上の父親ではなかったこと。
これがもし自分の子供であったなら、妻は離婚を承諾しなかったかもしれませんし、
養育費を延々と払い続けなければならなかったかもしれません。
托卵という企みをもって結婚し、その後も裏切りをし続けてきた妻と一緒に暮らすことは無理ですし、
子供の養育をし続けることになっていたら、それはもう地獄でしかありません。
私は現在、ひとりで暮らしていますが、
全てを清算するまでは心がボロボロになるまで追い詰められましたし、人間不信にもなりました。
もう恋愛や結婚はコリゴリだと思いますし、少しの時間でしたが、
子供と過ごした日々が記憶から完全に消えるには、まだまだ時間がかかりそうです。
時折、自分の何がいけなかったのか、自分はなぜ妻に選んでもらえなかったのか、
そんなに価値のない人間なのだろうか、そう考えると今でも死にたくなることがあります。
そんなときに、離婚前から相談に乗ってもらっていたカウンセラーの先生と話すことで、
地獄のような日々は徐々に薄まってきました。
自分の恨みつらみのコントロール方法をアドバイスしてもらったり、
自暴自棄になったときにはメンタルコントロールをしてもらいました。
今でも定期的に話を聞いてもらっています。
恨みや苦しみや不安を言葉にして、赤裸々に吐き出せる場所は、
本当に大切であり必要だったと身に染みて分かったことでした。
先生が常にお話しになる言葉があります。
考えが行き詰ったときにこの言葉を思い出すと、少し前向きな気持ちに引き戻してくれる言葉です。
「辛い経験は大なり小なりどの人間にも必ずある。それをこれまで自分が得た知識と相乗させて、
今後の人生に活かせる教養へと昇華させていく。
それを如何に積み増していけるかで、その人の人間性が決まってくる。」
人生に無駄な経験などひとつもない。
無駄になる徳になるかは、その人の思い一つで如何様にもなる。
今ではそう強く思えるようになりました。
もう少しカウンセリングの間隔を開けられるようになったら、
次の恋愛にチャレンジできるようになるのかな、と思っています。