2024年4月12日、衆院法務委員会に於いて、共同親権を導入する民法改正案が可決されました。
親権の在り方を決める際に「父母双方の真意」を確認する措置の検討を盛り込むなどの修正もされるようです。
先に結論から申し上げますと、私は原則的には共同親権に賛成していますが、
共同親権から両親の関係が更に悪化し、子の福祉が脅かされる事例が多く出ると危惧しております。
「平和的」な話し合いを経て離婚がなされ、離婚後もフレンドリーパートナーシップという、
子の養育のために両親が協力し合える関係性を築けた場合、
そこに共同親権が敷かれることで、両親と子の絆はより強固なものとなり、
親や子の幸福度も増すことから、家族形態の自由度や多様性は増していき、
婚姻数も増加するのではないかと考えています。
子の存在は大事に守っていきたいが、夫婦の考え方のミスマッチから、
一緒に居ることが双方の精神的苦痛に繋がるのであれば、
物理的距離を置くことはお互いを尊重する最良の方法と言えるでしょう。
単独親権しか選択の余地がなかったこれまでを考えると、
親権を夫婦のどちらが採るかという、無用な争いが一つ減るわけですから、
両親や子それぞれの人権に配慮された、非常に画期的な民法改正だと感じています。
以上から、平和的離婚を選択した夫婦が、
子の共同親権という選択肢を採れるようにすることは、本当に素晴らしい進歩だと思います。
しかしその一方で、離婚原因がDVだった場合、
共同親権はDV被害者にとって、猛毒になり得る恐ろしい法だと考えています。
その一番のネックは、身体的・精神的DVがあった場合、
裁判所の判断のもと、単独親権を定めるという民法改正の付則にあります。
この「裁判所の判断のもと単独親権と定める」という部分が、
今後厄介な問題につながるのではないかと危惧しています。
私のところには、日々、パートナーからのDVに悩む方からのご相談が多く寄せられています。
身体的なDVであれば、身体の傷などからDVの判定が可能なため、
医師の診断書があれば裁判所の判断で共同親権は否定され、単独親権を得られると考えられます。
しかしここで問題になるのは、モラハラやパワハラなどの精神的DVの場合です。
身体的DVと異なり、精神的DVには基準が明確に定義されていませんし、
そもそも定義が難しい問題だと感じています。
精神的DVとは、相手の人格や思考や行動を心無い言動で否定したり、
人権を踏みにじる言動をとるなど、相手に精神的ストレスを感じさせる行為のことを言います。
大声で怒鳴りつけたり、人前であからさまに馬鹿にしたり、
気に入らないことがあると無視をするなどといった、精神的虐待行為が良く聞かれるところでしょう。
しかし、これらの行為があったとしても、その全てがDVとされるわけではありません。
人それぞれの感受性には違いもありますし、許容度も異なるため、
精神的DVは基本的に、被害者からの申告に依拠します。
心無い言動をされても、軽く受け流せたり、逆にやり返して終われる人もいれば、
少しでもきつく言われると精神的なダメージを負ってしまう人もいます。
また、最初は受け流せていても、長年の積み重ねから我慢が限界にきて、
張りつめていた糸が切れてしまう人もいます。
周囲や第三者から見て、どこまではDVではなく、
どこからがDVなのかの線引きは、判断が容易ではないと思うのです。
精神的被害を受けたと訴えても、精神的DVをする人間は、
自分の言動がDVであるという認識がないことが多いため、
DVの事実関係を長く争うことにもなりかねません。
また、精神的DVを証明するためには、DVにより精神的ダメージを負い、
それが原因で精神疾患を患ったとする医師の診断書が必要になります。
精神的DVは身体的DVのように、
見た目で分かる傷を負えばDV認定となるような明確な基準がないため、
被害者が被害申告をためらってしまうケースが非常に多くあります。
DVを訴えても、それを我慢して普通に生活している期間が長くあると、
許して受け入れていたとされてしまうため、裁判所がDV認定を出さないケースが、過去実際にありました。
以上から、精神的DVを理由に被害者が離婚を申し立てた場合、
DV加害者との絶縁や単独親権を望んでいても、裁判所が単独親権を認めない可能性があり得るのです。
例えば、被害者が精神的DVを理由に、離婚の申し立てをしたとします。
家庭裁判所で、訴えを理解してもらいたくて、
冷静に理由を話していると、DV被害者らしくないと言われる。
事情を話していて思わず感情が溢れてしまうと、
精神錯乱で情動をコントロールできない人だと見られる。
怒りの感情が溢れてしまうと、それくらい言えるなら反抗できるだろうから、
相手が一方的なわけではないだろうとされてしまう。
子供がDVの証言をしても、洗脳されて親を庇っているのではないかと疑われる。
DVの立証が必要だと言われるが、精神的余裕がなくて録音映像を撮れなかったと言うと、
本当にDVを受けていたならば録音映像を撮れたはずだと言われる。
立証のために録音したら、立証証拠を取るために相手をわざと挑発したのではないかと疑われる。
長年に渡るモラハラを訴えると、同じことをされていても普通に生活できていた期間があるのだから、
モラハラは離婚理由にならないし、慰謝料請求もできないと言われる。
DV加害者が自分を守るため、被害者の訴えを逆手に取り、
突然離婚と言われた自分こそが被害者だ、相手のためにやったことを悪く取られて逆に傷ついたなどと、
巧みに反論されて水掛け論になってしまう。
そもそもDV加害者は、自分が全て正しいと思い込んでいるため、
DVの認識がなく主張が折り合わず、審理が長丁場になってしまう。
裁判所も最後は「納得させやすいほう」を説得にかかってしまい、
メンタルが弱い方が大幅に妥協させられることがある。
以上のように、実際にあった事例を軽く上げただけでも、
精神的DVが認定されることの難しさが分かって頂けたのではないかと思います。
今回の民法改正で、DVがあった場合には、
裁判所の審理を経て単独親権を認めるという文言がありますが、
以上の理由から、DV認定自体かなり難しくなるのではないかと予想しています。
加害者も認定には抵抗するでしょうから、
嘘や演技や話術が巧みな方が有利になることは確かでしょうし、
審理が長引けば、戦う体力がない方が妥協せざるを得ないことは間違いないでしょう。
DVがある場合の共同親権がなぜ危険なのかの理由は、敢えてお話ししなくてもお分かりかと思います。
過去、私が実際に担当した事例では、精神的DVをでっちあげだとして、
一度は妻子との別居を認めたにも関わらず、
嫌がらせをして警察沙汰にまでなった加害者である夫が、
別居の継続を求める妻のことを、子の連れ去り誘拐犯であり、
弁護士と結託してDVをでっち上げて慰謝料を取ろうとしていると訴え出たり、
妻は元々精神障害があるため、子供を養育できないから、別居や離婚は不当だと言い出したり、
自分は仕事を辞めたので、裁判所で定められた婚姻費用は払えないと拒否したり、
家に残された妻子の荷物の引き渡しを、あれこれ理由をつけて拒否したり、
妻の担当弁護士へ、怪文書を送りつけるなどの嫌がらせをするという、恐ろしいDV夫が実在しました。
この夫婦は、別居から2年経った今も、DV認定はおろか、
決定された婚姻費用すら支払われない状況が続いています。
このような事例は決して珍しいことではなく、DVが絡む離婚事案では、
その多くが似たような状況に陥ってしまうのが現状です。
それらを踏まえると、共同親権が施行されて、そのしわ寄せが及ぶのは、
間違いなく精神的DVが存在した元夫婦であると言えるでしょう。
共同親権下では、子の進学や医療、転居など、
子に関わる重要な判断を、両親が共同で行う必要があります。
DVが存在した元夫婦が、たとえ上手く離婚にこぎつけたとしても、
単独親権が認められなかった場合にどうなるのかは、言わずもがなではないでしょうか。
DVから逃げたくてやっと離婚できたのに、
子の養育のため加害者と関わり続けなければならないとしたら、
被害者の精神的負担はかなり深刻なものとなるでしょう。
不当な子の連れ去りを訴えて、共同親権を叫ぶ親がいらっしゃることは事実ですし、
でっちあげDVで子との交流を断絶され、苦悩の日々を送る親が多くいらっしゃることも、当然承知しています。
その数は決して少なくないことから、共同親権を推す力に繋がっているであろうことも理解しています。
ただ、数の論理とは申しませんが、現状は少数でも声が大きい方の流れに沿っているように感じてなりません。
しかしこれまでの経験から、でっちあげDVから子を連れ去られた、
と訴える側の話をよく掘り下げてみると、
訴える本人にそもそもDVの自覚が全くなかったという事例があることもまた事実です。
自分が正しいと思い込み、相手を力で抑え込もうとする人間からは、
黙って逃げるほか、自分や子を守る方法がないと思っています。
そのような事例の場合、単独親権か共同親権かの議論は、
双方の主張が折り合わず紛糾してしまうでしょう。
子のために設けられたはずの共同親権が、更なるトラブルの火種になってしまうのであれば、
子はますます不幸になりかねませんし、共同親権は本末転倒であると言わざるを得ないと感じています。
原則的な共同親権を進めると同時に、DVが存在する離婚の場合の明確な基準や、
法的強制力などについて、しっかり詰めたのちに発効して頂くことを、
切に願ってやみません。