愛してもらいたいがために、理解してもらいたいがために。
心ではやりたくない事を我慢して受け入れてしまう。
この我慢はいつかきっと報われるから、それまで我慢し続けよう。
そんな思いを抱き続けて苦しみ続けている人は、意外に多いのではないかと思います。
相手に理想を追い求めてしまいがちな男女関係では、そのような傾向に陥りやすくなってしまうと感じています。
最初から相手に依存しているわけではないと思いますが、あるがままの現実を受け入れる自分自身に自信が無くて、自信の無さを相手に求めることで埋めようとするのでしょうか。
「何故自分はやりたくもないことをしてしまうのか?」
「本当にやりたいことをするにはどう考えたらよいのか?」
「今更やりたくなかったなんて怖くて言えない」
「自分のワガママと思われて嫌われるのが怖い」
本当に心の底から自分がやりたいと思うことと、実際やることに差がないほうが良いのは当然です。
1/ 焦る気持ちが自分の心に嘘をつく
「他の人と比べて自分には足りないものが多過ぎる」
「このままでは彼に愛してもらえないかもしれない」
「何かをしなければ嫌われてしまうかもしれない」
「私は周りからダメな人だと思われているに違いない」
「人から嫌われてひとり孤独になるのが怖い」
「人から寂しい孤独な人だと思われたくない」
心の中に不安や焦りが生じて耐えられなくなってくると、それが自分としてはやりたくないことであっても、無理や我慢してまでもそれをしてしまいがちになります。
不安な部分や満足していない部分など、受け入れてもらえずに不満を感じる心を埋めようとします。
心の中では不満ばかりなのに笑顔で飲み込んでみせたり。
不安があっても顔に出さず優しくふるまってみせたり。
辛くて悲しくて仕方ないのに隠すように笑ってみせたり。
そうして自分の心に嘘をつき続けてまでも、人から良い人だという評価をしてもらおうとします 。
このような行為を心理学では 「補償行為」 と呼ばれます。
これをしてあげるのだからあれを返してくれるはずという、無意識的に相手へ補償を求める状態を指します。
このような行動をとってしまいやすい人に多いのが、「共依存」 という心理状態です。
2/ 自分の心に嘘をつき続けることはできない
共依存にある人に多い心理状態は、
「無理して相手に尽くすのだから自分を認めてほしい」
「相手に尽くしている私はきっと相手に受け入れてもらえるはず」
「嫌なことをされても我慢して受け流せば愛してもらえるはず」
このように他者に依存することで不安を解消しようとします。
他者依存で自己肯定感の不足を埋めてもらおうとして、自分の本心ではないことを無理して頑張ろうとしてしまいます。
しかし、自分の心に嘘をついて無理をし続けてしまう生活が、半年も一年も続いてしまうと心はどうなってしまうでしょうか?
また、自分を犠牲にしてまで補償行為をしたのに、行為に慣れてしまい有難みを感じなくなった相手が、希望した通りの反応を示してくれなくなったとき。
補償行為をした人間は一体どう感じるのでしょうか?
「相手が思う通りの感謝をしてくれないのはなぜ?」
「私を受け入れて愛してほしいのになぜそうしてくれないの?」
「ここまでしてあげたのにお返ししてくれないのはおかしい」
「良かれと思ってしてあげたのになぜ批判されるの?」
こんな理不尽な怒りを相手へぶつけてしまいがちになるでしょう。
ここで一度振り返ってみて考えてみましょう。
そもそも相手に尽くしたいと考えたのは共依存者本人です。
共依存者に尽くしてもらった相手は、共依存者に尽くすことを強要したわけではありません。
求めたかもしれませんが結果的に尽くしたのは共依存者です。
確かに尽くされた相手は尽くしてくれたことに対して、感謝をしたかもしれません。
そのときは有難いと感じたから喜んだだけであって、相手は補償行為を強要したわけではないのです。
共依存者からしてみたら 「今のままでは愛してもらえない」と、一方的な危機感を感じていて恐れているわけですから、最大限の無理や我慢をしてまでも相手に尽くそうとします。
無理や我慢をし過ぎてしまったことで自分に疲れてしまい、そこに思い描いたような反応をしてもらえなくなったことで、
「自分ひとりが無理や我慢をさせられてズルい」
「こんなに尽くしてあげているのに感謝がない」
「こんなに尽くしているのに愛してくれないのはなぜ」と、精神的に限界を迎えると一方的に関係を切ろうとします。
このように我慢や無理から補償行為をし続けていると、最初は維持できていてもいずれ我慢に限界が来てしまい、せっかく築いた関係を自ら壊してしまうことになりかねません。
しかし、よく考えてみると相手が嫌いになったわけではなく、無理や我慢を重ねることに疲れてしまっただけなのです。
無理や我慢を重ねる苦しさから解放されたいと感じると、衝動的に「別れるしかない」と極端に考えてしまいがちです。
3/ 恐れを隠した行動からは何も生まれない
補償行為とは、
「自分には足りないものがあり過ぎる」
「今の私のままでは愛してもらえるわけがない」
という自分自身の不安要素から起こる行動ですが、
補償行為自体は 「自分は相手のために良いことをしている」
と独りよがりに思い込んでいるという特徴があります。
更に補償行為のもう一つの大きな特徴は、「やっている本人にはメリットがない」というところでしょう。
相手に尽くす自分に満足するだけならば問題ないのですが、補償行為はその代償を得ることが最大の目的です。
代償を得られないと怒るならばそれはもはや害でしかありません。
補償行為をしてたとえ相手に喜んでもらえたとしても、
「とにかく嫌われなくてよかった」
「自分のダメなところを隠せることが出来た」と、不安が解消されたことを安堵することが先に立ってしまい、素直な喜びの気持ちを持つことはあまりありません。
そういった自分の自信の無さから来る恐れからの行動は、
「人から嫌われるのが怖い」
「周りからガッカリされたくない」
「自分一人みじめな思いをしたくない」といったような、失敗を恐れる気持ちからの行動になることが殆どなのです。
本心から相手に尽くしたいという愛の行動とは、
「相手と一緒に喜びたい」
「相手と一緒に笑顔になりたい」
「相手と一緒に楽しみたい」といったような、お互いに相手を大切にしたいという思いを念頭にして、相互依存的に行動することを指します。
すると、
「相手が喜んでくれてよかった」
「相手が喜んでくれたから自分も嬉しい」
「相手を喜ばせることが出来た自分が好き」
という充足感が生まれ自分を満たすことができるのです。
もし相手が自分の思った通りの反応をしなかったとしても、自分がやれるだけのことをした自分を認められますから、相手に対して不満を感じることはありません。
相手の反応を尊重することができるのです。
相手へ何かしてあげたいと思う行動は、相手から愛されたい・嫌われたくないといったような、自分の内側の恐れや不安を前提にするのではなく、与えたい愛情を前提とした動機に置き換えてみましょう。
以上のように考えかたを改めるだけで、あなたの行動によって相手がどんな気持ちを示しても、相手の気持ちを尊重することが出来るようになるでしょう。
無理や我慢から行動せず自分の気持ちに素直になるだけで、相手の愛情を素直に感じることができるようになるでしょう。