自己肯定感の低さが依存を生む
「不毛な関係だと分かっているのに、どうしても別れられない。」
「愛してくれないのに、どうしても離れられない。」
「きっといつか愛してくれるはず。」
「私さえ我慢すれば、きっと上手くいくはず。」
「上手くいかないのは、私が怒らせてしまったから。」
傷つけられるばかりで関係が上手くいっていないのに、
そんな相手から離れられないのは、きっといつか分かってくれると期待を抱いてしまうから。
好きだから今のままでいいと、まるで自分に言い聞かせるように、変わらない自分を自己肯定する。
今までずっと頑張ってきたのだから、次こそは分かってくれるはずと何度も我慢を繰り返してしまう。
これが地獄の一丁目、深い泥沼に堕ちてしまうのは、このような思考がきっかけになっている。
しかし、人間の我慢には限界があり、クラッシュする時は必ずやって来る。
クラッシュして限界を突破したとき、我慢を重ねてきた側はその不毛さにようやく気が付く。
そしてようやく執着が解けて、離れることが出来るようになる。
我慢の果てにやっと執着が解けた人たちは、実は同じ過程を経て結論に至っている。
それは「執着し尽くした」ということ。
とことん執着し尽くしてみると、実は見えてくる結論がある。
「ずっと分かってほしいと思ってきたが、そもそも相手は分かろうとする気がない。」
「相手には人の気持ちに寄り添う能力がないし、共感する能力がない。」
そうして相手を見切ったとき、悟りを開いたとき、それまで持ってきた執着をようやく手放せるのです。