■毒親とアダルトチルドレン
俗に言う「毒親」のいる環境下で育った子供たちは、
一般的に他者とのコミュニケーションに躓いてしまいがちであり、
その後の人生において自身の生き方に苦しむことがよくあります。
このような子供たちのことをアダルトチルドレン「AC」と呼びます。
ACは幼少期から毒親によって積み重ねられた「認知の歪み」が主な原因です。
ACは他者との関係(間合い)が近くなり過ぎたり、過剰に警戒してしまい極端に遠ざけたりと、
適度で心地よい距離感を掴むことが困難です。
その原因を「毒親」からの影響であると理解して、上手く親と距離を取り自立を果たせない場合、
親も子も精神的な依存が深刻となり共に不幸になってしまいます。
たとえ親から上手く自立を果たせたとしても、生育歴で毒親に積み重ねられた感覚は、
そう簡単に払拭することができず、親の影が常に子供の人生に付きまといます。
親の影を払拭出来たとしても、次は恋人やパートナーに偏った依存をしてしまい、
相手がACからの依存を重荷と感じるようになり、果てには関係性が崩れてしまうのです。
■アダルトチルドレンの特徴
1/ 他者との関係は常に「上下の関係」
ACは相手との関係性を歪んで捉えていることがよくあります。
相手との関係を常に「上下関係」と定義してしまいます。
友人でも恋人とでも夫婦でも親子でも、常に自分が上で相手が下と定義付けます。
この「上下」は一方は正義で一方が悪であるため、要は「加害」と「被害」の関係になってしまうのです。
「相手の言動に傷つけられた」「相手が自分の自尊心を傷つける」「相手は自分の気持ちを汲んでくれない」
といった具合に極めて一方的な被害者意識を持つのが特徴です。
「出来ないから罰を加えらえて当然」「約束を守らないから怒られて当然」「気が付かないから馬鹿にされて当然」
といった具合に極めて一方的な加害者意識を持つこともあります。
この思考の行きつく先がDV(ドメスティックバイオレンス)です。
歪んだ正義感から抑制が利かなくなりますから、理不尽な暴力へ発展する事例が殆どです。
このように他者との関係性が歪んでしまう要因として
1# 常に毒親の気分に巻き込まれ続けてきた
2# 生育歴の中で親子関係が常に服従関係
3# 関係性の中で常に被害者であり続けた
この三点がよくある不幸なパターンです。
2/ 相手の気分に巻き込まれやすい
ACは常に相手と自分との境界線があやふやです。
自分の考えは常に正義であり万人に受け入れられるものであり、
相手は間違っているから自分の考えを分からせてやるのが正しいことだと理解しています。
そして、自分が望むことは相手も望んでいることだと解釈して物事を進めるクセがあります。
例えばACが「ここへ一緒に行こう」と提案したとき、
相手が「ここには興味がない」と否定的なことを言おうものなら、
「折角誘ってあげたのに」と不機嫌になったり怒ったりします。
ACが手料理を振る舞ったのに相手の喜びかたが思う通りでなかったりすると、
「折角作ったのにその態度はなんだ」と不機嫌になったり怒ったりします。
このように一方的で理不尽な感情を相手にぶつけてしまうのが毒親でありACでもあるのです。
「相手も同じように思うはず」と決めつけるのは、一方的な依存関係であり距離感の偏りが原因です。
また、AC特有の感覚でもある「相手の感情に過度に過敏になる」という、
毒親との関わりから来る生育歴のクセも原因のひとつです。
相手が自分の思い描くような態度をしなかった場合、
自分に不満を感じていると思い込んでしまい、自己肯定感を傷つけられた怒りをぶつけるのです。
自分と意を同じく持たない相手に不安を感じ居ても立ってもいられなくなり、
手っ取り早く相手を圧力で支配し同調させようとするのです。
生育歴にどんな事情があったとしても、関わる相手の気持ちを蔑ろにしているのですから、
ACの理不尽な怒りは全て相手の精神的な負担となります。
3/ 生育歴で親との関係が服従関係であった
生育歴で親との関係が歪んでおり、常に親の強いコントロール下にあり続けてきたACの場合。
「親の望むような成績を求められ続けた」
「親に対して絶対服従を求められた」
「善か悪の判断しかされず悪には罰を与えられた」
「常に遊びや自由がない状況下での生活」
このような上下の支配関係下で、親子の愛着形成がなされない環境下で育った場合。
当然ながら人との健全なコミュニケーションの図り方を知る機会はありません。
こうした生育環境下で育ったACは、親から虐げられてきた経験を経て自立を果たすと、
「上に立たれる前に相手の上に立つのが最善」と歪んだ野心を持つようになります。
今まで親にされてきたように、歪んだ支配や圧力や暴力に出る場合もありますし、
相手の失敗などを執拗に叩いて、罪悪感や自虐感を持たせて優越感を得ようとします。
そのやり方で成功を収めると、自分でも抑制が利かなくなり典型的なDVに発展するのです。
対等の関係性を基本軸として、子供に無償の愛を注ぐ親の元で育つ子供は、
素直に親に甘えたりワガママを言うことで、親の愛情を確認しながら安心を得て成長します。
しかしACの場合は毒親から常に様々なプレッシャーを受けながら育ち、
「甘えやワガママは許されない」
「親の期待に沿わなくてははならない」
「親の基準を押し付けられて、子供に選択権がない」
こんなしつけの元で育てられた子供は、本来あるべき無償の愛を知らず、常に愛情に飢えて育ちます。
常に毒親から「甘えやワガママは罪である」という基準でしつけられているために、
健やかな成長に必要な愛情形成が成されないのです。
親が自分本位の完璧主義者だったり、
親の望むような生き方や考え方を強制されたり、
親自身が共感性に欠ける自己愛性人格障害や発達障害者であったりすると、
ACは自分の失敗を許せず自己肯定感が傷つきパニックを起こしたり、
失敗すると周囲に責任転嫁をして逃げようとしたり、
自分に非を押し付けられまいと感情的にふるまい、周囲に善悪を押し付けるようになります。
4/ 常に被害者であり続けた
ACは常に自分が誰かに責められていると感じていることが多いです。
相手を性悪説で見たり、相手の些細な言動をネガティブに捉えます。
毒親からポジティブな共感をされた経験がないため、自身もポジティブな共感性を持たないのです。
基本的に被害者意識を強く持ち「自分は馬鹿にされている、不公平だ」と判断して相手を避けたり、
周囲に壁を作るように感情を露わに怒ったり、逆に卑屈になって内に籠ったりします。
常に周りを上下関係で捉えるため、相手が上の立場ならば過度に消極的になったり、
相手が下の立場だと判断すれば圧力を以て従えようと恫喝したりします。
結果的に周囲から疎まれて避けられてしまうと、
「自分は悪くないのに悪者扱いされた」と更に被害意識を持ち卑屈になります。
毒親とのかかわりを持つACは本来被害者であるのですが、
前述した経験は脳にしっかり刻み込まれるため、
自分が親になると過去がフラッシュバックして経験を再演してしまうのです。
思考は常に自分軸しか持たないため、問題の原因は全て周りの責任と捉えてしまい、
自分に改善点はひとつもないと定義してしまうのも、ACの問題が解決に至らない大きな要因です。
5/ 善か悪か、0か100かの両極端な思考
ACは人間関係のコミュニケーション調整や、上手くいかなくなった時の関係再構築など、
再び良好な関係を築く努力をしない人が殆どです。
「自分を理解してもらえないのなら別れる」「自分を蔑ろにしたのだから二度と会わない」
このような不健全な人間関係しか築くことができません。
基本的に共感性に欠けるため、相手と感情や考え方を平等な立ち位置で話し合い、
妥協線を引くという双方感情の痛み分けのような解決方法を知らないのです。
分かりやすく数値化されたものや、一般的な解があるものならば得意なのですが、
相手の感情を受け取って、こちらの感情も受け取ってもらうという双方向のコミュニケーションは不可能です。
なぜならば、自分が分からないこと自体がストレスだからです。
これは発達障害者や自己愛性人格障害者によくある感覚ともいえます。
ACは基本的に白か黒で決めることが多く、
自分にとって嫌な相手は関係を切ったり、相手を無視し圧力を与えて相手を牽制します。
これがACは話し合いによるコミュニケーションが取れないと言われる所以です。
物事を両極端にしか捉えられない人とのコミュニケーションは当然上手くいきません。
何故ならすべてが「自分にとっての善」が基本であるからです。
物事や人との関係に完璧なものはなく、当然良い面もあれば悪い面もあります。
良い面と悪い面の両面を示しながら、そして相手の同じような両面も受け止めながら、
双方折り合っていくのが健全なコミュニケーションなのですが、ACはそのストレスを甘受できません。
ACは現実を善か悪かで判断し、過度に美化しているか過度に悪く見ています。
つまりリアルをありのままに見ようとせずに、自分の理想を通してしか見ていないのです。
そして最も厄介なのは、
自分の思い通りになる人は「良い人」
自分の思う通りにならない人を「悪い人」
周囲を自分の間尺に合うか合わないかのみで分断してしまうのです。
「良い人である自分」に「悪い人である相手」からされた仕打ちを周囲に訴えて、
自分へ同情を引くとともに「悪い人」をひとり孤立無援状態にして支配しようとします。
■残念ながら人は変わらない
ACは毒親の被害者です。
生育歴により形成された性質が影響してディスコミュニケーションに至るのは気の毒でもあります。
しかし、その問題点を周りが懸命に教え諭してあげたところで、
ACにとっては自己肯定感を更に傷付けられる苦しみに他ならないのです。
周りからではなくACが自ら内省し、自分の思考の問題点を自覚することに尽きるのです。
自らそれが出来ないのならば他言は無用でしょう。
寧ろ、ACによって攻撃されたり裏切られたりして傷つく前に、周りはまず自分を守るべきです。
相手を変えようとは思わずに、まず自分が変わることを考えたほうが賢明でしょう。
誰しも人生の時間は有限です。
「相手と対等で平等な立場に立つ」という人間関係の基本が守れる人と共に時間を過ごしましょう。