毒親の呪縛の恐ろしさ
今、毒親との関係に悩んでいる方のご相談を受けている。
今の段階では詳細を上げられないが、問題が解決したのちは事例をブログに上げてよいとの承諾を取っている。
色々あって、結局親とは絶縁する方向で話が進んでいるが、そこへタイムリーな記事を見つけた。
それがトップにある画像の「不仲の親の終活代行」である。
近年、様々な代行業者が台頭してきているが、その中でもこれは画期的であり、
まさにこれからのニーズに即したものではないだろうか。
昔ならば、家長制度よろしく、親や家族の面倒は何があろうと子供がみるべき、という風潮があったのだが。
現代は個人主義が台頭し、同時に核家族という形がマジョリティとなった。
親子だから親戚だからと、結束しなければならないという世の中ではなくなってきた。
要は家長制度の崩壊である。
もちろん、子が独立して程よい距離を保ちつつ、親兄弟とは良い家族関係を築き、
何かあれば協力関係を取れるベストな関係を維持している人はたくさんいる。
しかし、昨今はモラハラや依存や支配など、人間関係に影を差す概念が表面化し、
個人主義も相まって、負の関係は我慢せずに切っても良いというポジティブな考え方が広まった。
これにより、親と言えども毒親であると感じたならば、
親とは絶縁したり完全に距離を置くという子供が増えたのだ。
しかし、親と絶縁したといえども、
親の終末に関しては自分が責任を負わなければならないと考えてしまう子供がいる。
子供が親の生活を看なければならないという法律はないのだし、
親子と言えども個人なので、それぞれの責任において人生を全うしたらよい。
しかしながら、子供の「親の面倒を看る」という強迫観念は非常に強いものがある。
それは生育歴の中で刷り込まれてきた「愛されたい」という思いと「責められたくない」という恐怖であろう。
親への畏怖だけではなく、
周りから責められることに対して過剰なほど敏感になっているところが、毒親育ちの悲哀だ。
強迫観念に恐怖する子供に、「責任を負わなくてもいい」と言ったとて理解は難しいことなので、
その場合はお金をかけて代行してもらうという形をお勧めしている。
そうして責任を全うしたとき、子供はようやく親の呪縛から解放されるのかもしれない。