夫45歳 自営業者
妻40歳 専業主婦
子供2人 小学生
■両親の呪縛から解き放たれたかった
振り返ると妻の人生は、物心ついてからずっと呪縛と搾取と忍耐の連続でした。
妻の両親は妻が物心ついた頃から新興宗教にハマっていて、週末になると朝早くから宗教施設へ連れていかれました。
両親は遊びたい盛りの子供にお祈りを強制し、一家は一日を宗教施設の中で過ごすという日々。
幼い頃からその生活でしたから、妻はそれが世間の当たり前だと思っていました。
そんな妻が成長し高校生になった頃には、両親から「バイトして生活費を稼いでくるように」と言われ、学業の傍らバイトに明け暮れる生活を送ります。
妻は友達と遊びに行きたくても我慢し、ひたすら働いて毎月5万を両親に渡します。
そこまでしていても、妻は両親から感謝されたり与えられるものは皆無だったそうです。
それなのに何故そんなに献身的だったのでしょうか?
それはひとえに生んで育ててくれた親への恩返しと、宗教の教えとして両親から洗脳のように日々言い聞かせられていたからです。
やがて社会人となり会社の寮に入った妻は、両親から物理的な距離を置けるようになります。
そこでようやく、世間一般と自分のあり方が、大きく乖離していたことに気が付くのでした。
それでも月々の給与から両親への送金を続けていたのは、両親からの無心というよりも、幼い頃からの洗脳が利きすぎていたからです。
■結婚すると豹変した夫
そんな妻が初めて男性を好きになりました。
知り合いの紹介でお付き合いを始めることになった男性、現夫です。
決して多いとは言えない給与から、月に5万も両親へ送金し続けていた妻。
贅沢も出来ず慎ましく生活していた時に、それまで知らなかった世界を色々と見せてくれたのが夫でした。
妻の生育歴についても理解を示してくれ「両親とは距離を置いた方がいい」と妻の気持ちに共感をしてくれました。
理解ある男性と結婚すれば、もう両親から完全に自立することになる、月々の送金も止めさせてもらえるし、宗教からも離れることができる。
ほどなくして受けた夫からのプロポーズを、妻が断る理由はありませんでした。
結婚後すぐに同居生活を始めた二人。
これから穏やかに楽しく生活ができると、生活に必要な家財を買いそろえようとした妻。
すると「今あるものを使えばいい、無駄遣いするな」と、いきなり声高に制した夫。
夫は自営業者で事業も順調に進んでおり、月々自由にできる金銭も、世間一般からすると潤沢と言えるくらいありました。
妻は「先々のことを考えてくれているのかな」と、特に反論もせず夫の意見を受け入れたのです。
しかし、その時の夫の強い口調はそれまで聞いたことのなかった感情的なもので、それがそのあとに始まる地獄のプロローグだったことを理解したのは、それからまもなくのことでした。
■支配と隷属
結婚して間もなく妻は妊娠し、それまで共働きをしていましたが、夫の勧めもあり仕事を辞めて専業主婦となります。
妻は夫が自分を大切にしてくれているのだ、と嬉しく感じていました。
しかし夫の勧めは、妻を大切に思っての言動ではなかったのです。
それまでも夫は、妻が夫抜きで買い物へ行ったり、友人とお茶へ出かけることさえ拒みました。
夫はほぼ自宅の自室で仕事をし、三食は妻の自炊、買い物は夫と一緒に出掛けるという、1日24時間一緒の生活。
結婚式もしなかった妻を祝おうと、妻の友人たちが夫妻の自宅へお祝いを持ってきても、友人たちを自宅にあげることに難色を示す夫を気にして、妻は玄関先で対応するしかありませんでした。
唯一、妻が実家へ出かけるときは、一人での外出を許可してくれますが、逐一居場所を報告させ、妻が時間通りに帰宅しないと、夫は不機嫌を露にするのです。
月に数回、夫が仕事で外へ出かける際も、妻に居場所を逐一報告させ、メールの返信が少し遅くなるだけで、夫は妻を罵倒するようになっていきます。
要は妻は夫から軟禁されていたのです。
妻はやがて夫が怖いと感じるようになりました。
常に夫の顔色を気にして生活するようになり、夫の声色が怪しくなるだけで、何か怒らせるようなことをしたのかとオドオドするようになります。
それまで挑戦したことがなかったご飯を作る際にも、必ず夫にお伺いを立て、夫が了承すれば作ることができました。
出産に必要なグッズを買いそろえる際も、夫が認めれば買える、認めなければ諦めるといった具合に、生活全般で妻の意見は採用されず、全て夫の一存で決まるといった感じでした。
かといって夫は守銭奴なのではなく、夫がお金を使うことには制限がなく、妻がお金を使うのには全て夫の許可がいるのです。
妻は専業主婦であるし、お金を稼いでいないのだから仕方がない、と自分を納得させるしかありませんでした。
両親からの洗脳や呪縛からやっと解き放たれたと思った妻でしたが、今度は夫から洗脳と束縛を受けるようになってしまいました。
それでも妻は夫から離れようとはしませんでした。
なぜならば、そんな夫であっても両親から受けてきた呪縛よりはマシだと思えたし、なによりも妻のお腹には新しい命が宿っていたからです。
やがて子供が生まれ、慌ただしい生活になりましたが、妻は生き甲斐が生まれたことに嬉しくて、育児に精を出していました。
子供の頃、両親からまともな愛情を受けてこなかった妻。
純粋な愛を感じることができる対象がずっと傍にいてくれることに、言い知れぬ充実感を覚えていたのです。
自分に子供が生まれたことを、当初は喜んでいた夫でしたが…
それまで妻の関心を一身に受けていたのに、関心が自分から子供へ向かってしまったことに、露骨な不機嫌を表すようになりました。
ここから妻は地獄の本章へ入っていきます。
■壮絶な夫の過去
子育てに忙しい妻、そんな妻の様子を疎ましく見ていた夫。
気に入らないことがあると不機嫌を露わにしたり、無視をしたり、声高に怒鳴りつけたりが日常になっていきました。
それでも頑張れたのはひとえに子供のため。
子供が日に日に表情豊かになっていくことだけが妻の心の支えとなりました。
洗濯や掃除、子供の世話、夫のご飯の世話。
妻の一日は目まぐるしく過ぎていきます。
時折妻の両親が宗教を持ち込んできたり、過干渉してくることもありましたが、多忙を理由に遠ざけられたことが、妻にとっては大きな安心でもありました。
私さえ我慢したら、夫と子供の生活を維持できる。
この時は本気でそう思えたのです。
そう、この時までは。
子供が幼稚園に上がり、ママ友も出来て、子供にも友達が出来て。
夫は他人との付き合いを敬遠するタイプなので、子供関係の行事やお付き合いは妻と子供だけで行くことを許可されるようになり。
この時からやっと、ほんの数時間ですが、妻は夫と離れることができるようになりました。
しかしそれと同時に、夫の不機嫌は度を越して酷くなっていきます。
夫の不機嫌の理由は、妻が外の世界で楽しそうにしていたことにあったのでしょう。
自分が立ち入れないところで、妻が活き活きと過ごしている。
妻が自分の管理下から外れていってしまうことに、言い知れぬ不安を覚えたのかもしれません。
そのうち、週末子供が友達と遊びに行こうとしたり、妻がママ友との会合へ行こうとすると、夫は何かと理由をつけて妨害してくるようになりました。
夫もプライドがあったのか、理由もなくただ妨害するのではなく、家族旅行を理由にしたり、買い物を理由にしたりと、妻や子供が拒否できない理由を出してくるのです。
それでも外での予定を優先したいと、一言でも反論しようものなら、夫は自室に引きこもって何日も出てこなかったり、自室に子供や妻を引き入れて何時間も声高に説教をしたり。
夫が妻子を怒鳴りつける声は外にも響いていたようで、心配した近所の人に警察を呼ばれることもありました。
夫の言動に耐えられなくなった妻は、ある日夫の母に相談を持ち掛けます。
すると、夫の母から驚くべき過去のエピソードを聞くことになるのでした。
実は夫の生育歴は壮絶なもので、幼少期から夫は父から虐待を受けてきたとのこと。
理由をつけてご飯を与えてもらえないネグレクトや、兄弟間のあからさまな差別。
父の機嫌が悪いと殴り飛ばされる、寝かせてもらえない、学校へ行かせてもらえない。
栄養失調寸前だったこともあり、歯は栄養状態が悪いことと、管理が悪いことでボロボロになり。
そんな状態であっても、母も父から同様に暴力を受けていて、息子を庇うことが出来なかったそうです。
夫の母は一言「父親もそうだったから息子もそうなった、仕方ないね」と。
それを聞いて妻は愕然とし、更に夫を畏怖するようになります。
なぜなら、夫の父は、母への暴力で警察に逮捕されていたからです。
父親と同じ性格ならば、そのうち私も暴力を振るわれるようになるのかもしれない…
そう考えると妻はどうしたらよいのか分からなくなり、やがて不安で精神が不安定になっていきました。
夫から軟禁状態に置かれていた妻には、悩みを打ち明けられる場所や、助けを求める人がいなかったのです。
■人生の大転換へ
夫の度重なる暴言や説教や妨害や不機嫌は、モラハラを通り越してパワハラの域に達していました。
それでも救いだったのは直接的な身体への暴力には至らなかったこと。
恐らく、夫は父親を反面教師にしていて、暴力さえ振るわなければ、自分の思惑通りに事を進めるにあたって、必要なことを言い聞かせるのは正当である、と考えていたようです。
しかしそれも、妻子が辛く苦しいと感じていれば、全てハラスメントに該当します。
妻子が夫から受けていたハラスメントは、確実に妻子のメンタルを蝕んでいきました。
やがて妻はうつ病と診断されます。
ある日、ふと妻の目に留まったスマホの画面。
そこにはモラハラの記事があり、その内容が自分が受けてきたことに酷似していたのです。
「ああ、私はモラハラをされてきたんだ」
このまま我慢し続けたら自分はおろか、子供も壊れてしまう。
そう思った妻は、モラハラについて調べ始め、カウンセリングを受けてみる決意をしました。
当サロンへ妻が初めてカウンセリングを受けに来たとき。
妻が求めていたことは「夫は精神的な病気であるから治してほしい」ということでした。
「もしかしたら自分もおかしいのかもしれない」
「家族をやり直すためにはどうしたらよいのか」とも。
これまでのエピソードを全て聞いたカウンセラーは、妻に最も重要な結論から告げます。
「人は自分から変わりたいと心から願わない限り変わることができません。人に変わることを期待して我慢をし続けても、そのうちあなたの我慢が尽きてしまいます。だから今すぐにお子さんと共にご主人から離れましょう。まずは別居して距離を置くところから始めませんか?」
それまで夫と夫婦として再構築したい、仲良く暮らしていくにはどうしたらよいのか?
という頭で聞いていた妻は、カウンセラーの「別居」という言葉に拒否反応を示します。
夫を変えるためにはどうしたらよいのかを相談に来たのに、カウンセラーは開口一番別居を勧めてきたのですから、その反応は当然でしょう。
カウンセラーは時間をかけて、ひとつひとつの事例を紐解き妻に説明しました。
これまで妻子が夫から受けてきたものは、愛情ではなく自欲であること。
愛情ならば、いいことも悪いことも相手に共感しようとし、少しでも近いものを与えたいと思うもの。
暴言を吐いたり抑圧したり、思う通りにいかないと不機嫌を露わにしたり、やりたいことを妨害したりはしない。
自分の機嫌を自分でとることが出来ず、妻子に気を遣うよう求める人間は、自分のことしか考えられない自己愛者であるということ。
自己愛者は自分が否定されることを最も恐れ、絶対的拒絶をする。
自己否定は死ぬと同義なくらい、自分に自信がない小心者。
ゼロイチな偏った思考のため、支配されるか隷属させられるかという不安の中にいる。
そのためいつも支配者的であり、自分に高いバリアを張り続けていること。
夫が変わることを待っているうちに、自分たちが我慢の限界で精神的に死んでしまう。
まず自分を大切にできない人間が、夫を支えることなど出来はしない。
夫に事態を正しく理解し、少しでも歩み寄りの姿勢を持ってもらうためにも、嫌なことは嫌だと態度で示す必要がある。
夫は過去の生育歴からアダルトチルドレンとなり、自己愛性者の性質を持ち、コミュニケーションがうまくいかずに苦しんでいる部分はあると思う。
しかしだからといって、妻子にハラスメントをしていいという免罪符にはならない。
どんな理由があったとしても、人を傷つけていい理由など、どこにも存在しない。
カウンセラーは何度も何度も、妻の心に訴えかけました。
あなたはあなた自身のために生きていいのだ、と。
そして、妻はようやく自分のために生きてみる決意をしました。
生き甲斐である子供のためにも、そうしなくてはならないのです。
それが精神的に自立するということなのでしょう。
これまで妻も、夫に依存していた部分は否めなかったのです。
なぜなら、自分の意思をきちんと夫に伝えずに、安易に夫のハラスメントを受け入れてきてしまったのですから。
心が決まった母は強し。
ここから妻の人生の大逆転が始まります。
To be continued~その2へ続く