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自己愛性人格障害者とアクセサリー

ケース①40歳代女性と50歳代男性

ケース②30歳代男性と60歳代の両親

 

「News」欄の「コラム」でも何度か取り上げている「自己愛性人格障害」について。

ここでは自己愛性人格障害者が周囲の人間に与える甚大な影響について書いていきます。

自己愛性人格障害者によって人生を傷つけられた方の生の声を是非お聞きください。

 

 

 

ケース① 常に振り回され疲れ果てる女性

お付き合いしていた男性は自由人でした。

その身軽さや経験値の多さに惹かれていた部分があります。

自分にはないものだったからでしょうか、魅力的な人間であったことは確かです。

男性の持つリーダーシップみたいな力に、最初は頼りがいを感じていましたしそんなところが好きでした。

お付き合いを重ねていくうちに、男性のリーダーシップに強引さを感じるようになっていきました。

冷静に見ているとお付き合いは常に「男性上位」「男性優位」「女性下位」

男性のやりたいことだけが優先され、女性のやりたいことには与してもらえないことが増えていきました。

強くお願いすれば受け入れてくれることもありましたが、その時は明らかな「不機嫌」を露わにするのです。

この時に感じた違和感は、その後拭われることはなく、ますます大きくなるばかりだったのです。

そんなモヤモヤが積み重なっていくうちに気が付いたのが男性の浮気。

そのことを話し合いたいと思っても、男性は話し合いを高圧的に封じ込めようとしました。

それでも食い下がると「無視」「拒絶」というモラハラをしてくるのです。

挙句の果てには女性の日頃の態度に問題があったと、問題のすり替えをして逆切れしてきました。

こんなことを短いスパンで何度も繰り返し、女性は次第に男性と距離を置くようになってしまったのです。

女性の気持ちが限界に達したころ、男性はまるで問題などなにもなかったのように接してきました。

自分に問題はなく、受け入れてあげている僕は人格者だとばかりに、明らかに女性を下にみた言動を取ってきます。

要は男性は女性を自分のコントロール下に置きたかっただけ。

それを象徴する言葉が以下の通りです。

『君は文句を言わず、いつも笑って横に居たらいいんだ』

『年齢相応の服装(ハイブランド)を着なさい(服にお金をかける余裕がない女性に対して)』

『周りに隙を見せるな』

『家にいても女性らしい服装をしなさい(動きを抑制される露出感の高いワンピースなど)』

『見映えの良い服装をしたらそれなりに見えるのだから』

『ハイヒールの似合う女性がいい(ハイヒールの靴擦れに苦しみスニーカーを履く女性に対して)』

以上からお分かりかと思うのですが、前述の男性はこの女性が好きだったのではなく、

『自分に見合う女性』が好きだったことが分かります。

この男性にとって付き合う女性とは「関係を構築する」相手ではなく、

如何に自分の引き立て役となってくれるかどうかが重要だったのです。

自己陶酔型な自分の行動を全て受け入れ、付き従ってくれる女性ならば誰でもよかったのです。

自分の間尺に合わなければ次から次へと品物を変えるように女性を変えても罪悪感を持たないため、

好きな人との関係をお互いに構築するという方法論は持ちません。

このような自己愛性人格障害者との恋愛は最初は楽しく刺激的であったりするのでしょうが、

そのうち本性が分かった時、相手はそのあまりに一方的な関係に苦しくなってしまいます。

そして女性を自分の思うようにコントロール出来なくなってくると、

依存的で従属的な新たな女性を探して外に出会いを求めていくわけです。

分かりやすく言うならば「人間を好き」になるのではなく『人形を好き』になっているのでしょう。

こうしてターゲットにされた女性は人生を傷つけられてしまいました。

 

 

 

ケース② 自己愛性人格障害の毒親を捨てた息子

幼いころから父親が家でゆっくりしていた記憶はなく、外で仕事に明け暮れる父親を見てきた息子。

たまに家にいても「父親のやりたいこと」が優先され、息子がしたいことを応援してもらった記憶がないと言います。

 

 

たまたまスポーツ好きの父親の影響からやり始めた野球が父親のツボにはまり、

父親が喜んでくれることに喜びを感じ、父親が応援してくれるに任せて頑張り続けてきました。

しかしそれも長く続くことはなく、大学受験に失敗したことからコンプレックスを抱えるようになりました。

父親は折に触れて「自分の理想」を語り、息子との理想にギャップがあると息子の理想にダメ出しをしました。

父親は社会的には優秀な人間だったようですが、その父親のスピード感と息子のスピード感が違うだけで、

理由の如何を問わず「ダメ」「失格」の烙印を押されてしまうのです。

息子は一体誰のために生きているのか分からなくなってしまったと語ります。

社会人となり理由をつけて独り暮らしを始めた息子。

これまで「父親のために」気を遣ってきた息子にとって、

その圧力から解放されてホッとしたと同時に虚無感に襲われてしまいました。

何を目標にしたらよいのかが分からなくなってしまったのです。

何をやっても満足感がなく、どこかで父親と自分のレベルを比べてしまい鬱状態に陥った息子。

仕事も辞めてしまい自宅に引きこもる日々が続いてしまいました。

そんな息子に父親は「更生」を持ちかけてきます。

まともな人生が送れるように生き方を正せと言ってきたのです。

 

 

息子はあまりにも無神経で他罰的な父親の言動に耐え兼ね、親との絶縁を決意しました。

そんな息子が最後に父親へ送った手紙の抜粋が以下です。

「あなたが息子としてやって欲しいことを今までたくさんやってきました。あなたは息子に対して自分がやってほしいことを要求する事しかしていません。息子を応援したことなんて一度もないのですから。あなたは自分がやってきたこと、言ってきたことがどれほど子供を傷つけてきたのか、どれほど人間としてダメなことだったのか、どれほど家族のきずなを壊してきたのか理解できていないみたいですね。」

「家族を粗末に扱い犠牲にして、自分のお金を殖やして自分が出来ることを増やしていくことが正しいのだと思って生きてきたあなたですから仕方がないですね。」

「私の誕生日を祝うな。私が誕生したことに感謝などしていない人に祝われるとか反吐が出る。あなたが嬉しかったのは自分の息子が出来たからで、私が出来たからではないだろう?」

息子の数十年の恨みつらみが書かれた「慟哭」です。

父親は息子を自分のアクセサリーのように扱ってきたことが手紙から読み取れます。

「自分を喜ばす子供」でなければ愛情は注がれないと、息子は強く感じていたのですから。

 

 

手紙が最後通牒となってしまいましたが、これで息子の心が晴れて人生をやり直せるとも思えません。

自己愛性人格障害を持つ毒親による周囲の影響は計り知れないのです。