近年「毒親」という言葉がネットを中心に、急速な広まりを見せています。
毒親の特徴を知り既視感から過去を振り返ってみると、自分の苦しみの正体を知りホッとする方や、過去がフラッシュバックして辛い思いをする方など、様々な辛いお話を聞く機会が多くなりました。
中には70代の方から毒親エピソードを頂くことがあり、未だに昨日のことのように思い出して苦しいと聞くと、毒親の呪いは非常に恐ろしいカルマだと強く感じます。
親が死してなおも苦しみ続けている子は、どのように気持ちを収めていけばよいのでしょうか?
今回の動画は「毒親と子」の事例を紹介します。
生まれ持った運命に翻弄される子の葛藤と、子を振り回してしまう親の思考を紐解いていきます。
Case1 自分の老後のためにDV夫と離婚するなと脅す毒親
夫からの深刻なDVに耐えかねて家を出た私と子供。
本当は絶対に戻りたくなかった実家だけど、子供の生活のためにやむなく戻ることにした。
仮住まいだけにして出来るだけすぐ家を借りるつもり。
窮地に立たされても親の元にだけは戻りたくなかった。
しばらく実家に置いて欲しいと親にお願いすると、親は最初とても喜んでいた「帰ってきてくれる」と。
その言葉の意味は一緒に暮らせて嬉しいのではなく、子供に依存できるから楽という意味なのは知っている。
私は幼少期~家を出るまで親に依存されてきたから。
親と同居していたとき親が私に依存したのは、精神的なものだけではなかった。
私が生まれる前から新興宗教に傾倒していた親は、ろくに仕事もせず狂信的な宗教活動をしていた。
高校生になった私に親は働いて生活を助けるよう言い、私は高校生から部活もせずにバイトに明け暮れ、毎月5万円を生活費として親に渡していた。
掃除や洗濯や料理もほぼ私がやっていたから、親に育ててもらったという意識が私にはなかった。
DV夫の元を出て実家に戻り2日間は親も協力的だった。
その時は「実家に住めばよいし子供の面倒も見るから大丈夫」と言ってくれていたのに、それが3日目になっていきなり180度話を変えてきた。
「離婚を思い直して夫とやり直したらどうだ?」と。
あとで知るのだが親が夫との再構築を勧めてきたのは、夫から離婚を阻止してほしいと懇願されたから。
その条件として夫は親の生活費を援助すると提案し、親はそれを快諾したと聞いて私は落胆してしまった。
親は私と子供の安全よりお金を取ったんだ…
私は幼少期から親に期待しては裏切られての連続だった。
自分が悪いから裏切られるとまで思い込んできたし、何故親に愛してもらえないのかと悩み苦しんできた。
窮地に追い込まれて今度こそはと信じた私がバカだった。
翌日これまでのことをカウンセラーに相談したところ、すぐに親元を離れて離婚も進めるように言われた。
理由をつけて行動しないこれまでの自分を変えること。
自分を守るのは自分自身だと背中を押してもらった。
親は子を守るという概念に執着していたのは私だった。
さっそく役所へ行きDV被害者福祉制度を紹介されて、子供と暮らせる施設に入ることになり親元を離れた。
今は親との連絡手段を全て絶って絶縁できている。
夫との離婚協議も進んで和解が成立する見込みだ。
Case2 子を取り戻したいと依存する毒親
大事に育ててきた息子から絶縁を言い渡され、息子は家を出てしまい連絡手段も全て絶たれました。
干渉して欲しくないし話し合いもしたくない。
自分は毒親にはなりたくないから、親と距離を置きたいとも言われてしまいました。
私はこれまで散々自分を犠牲にして、息子のためだけを考えて生きてきたのに。
息子にこんなひどい裏切られ方をされるとは、夢にも思っていませんでしたしこの先が不安です。
息子は結婚が決まっていたので、結婚後は同居するようお願いしていましたが、それを息子の妻が拒否していたようです。
息子も同居を断ってきたので考え直すよう言ったら、それ以降絶縁されて連絡も取れなくなりました。
結婚した子供が親と同居するのは当然のことなのに、妻のワガママで拒否して絶縁なんてあり得ない。
息子夫婦のほうから謝罪してくるべき問題なので、連絡を待っていますが既に2年も連絡がありません。
自分たちも高齢になりそろそろ生活が不安なので、息子夫婦と話し合って同居するよう説得したい。
出来ることならば息子だけ家に戻ってきてほしい。
息子が同居を拒否したのは息子の妻の影響だから、親を大事に出来ない妻とは離婚したほうがいい。
息子を取り戻すためにどうしたらよいか相談してみたが、カウンセラーには親の依存だと言われてしまった。
正しい判断が出来ない子供を正しく導くことが、息子への依存と言われる意味が全く分からない。
息子が明らかに間違えた方向へ進んでいるのに、親は関わってはいけない。
子供のためを思っているように見せて、親自身のエゴを押し付けてはいけない、というアドバイスは時間の無駄でしかなかった…
Case3 子の人生を邪魔して破壊した父親
父がモラハラと過干渉タイプの毒親で、私の人生の邪魔ばかりしてくるので辛いです。
父は昔からプライドが高く理想主義者でした。
私や兄弟に父の期待通りの進学をさせるため、家から追い出すと脅され無理やり勉強させられました。
やりたくない習い事も延々とさせられる毎日でした。
外出するときは行き先や目的を伝えなければならず、友達と遊びに行くことすら許されませんでした。
父は友達がいないようでインドア派だったため、常に家族の誰かが家にいないと怒り出します。
家族が父と違うことをするのが許せないようです。
私が社会人になると私の仕事に口出ししてきました。
残業が多くて大変と一言愚痴をこぼそうものなら、その愚痴の10倍くらいの説教をされてしまいます。
私の仕事のやり方がなっていないからと、仕事の進め方を事細かく指示されることもありました。
そんな父との同居が辛過ぎて耐えられなくなり、近隣に部屋を借りて一人暮らしするようになりました。
父に振り回されて辛い思いをしている母が心配なので、月に数回は実家に帰るようにしています。
母は父と結婚するときに専業主婦を強制されて以降、ずっと無職で生活力がなく父に依存しています。
何度か離婚を考えたことはあったらしいのですが、離婚後の生活を考えると踏み切れなかったそうです。
最近は父から暴力を受けることはなくなりましたが、些細なことから不機嫌になり態度がキツくなるので、父の機嫌に怯えて気を遣う自分が嫌になります。
嫌なのに父に認められたい自分も存在しているのです。
仕事が合わなくて転職する時も大変でした。
父の許可がなければ転職を許されないので、父に理解してもらうために話をするのが苦痛でした。
友達が親の許可も得ずに職を選んでいて、転職も自由だと知った時は本当に羨ましかった。
父が死ぬまで私の人生を邪魔してくると思うと、消えてしまいたくなる衝動に駆られることがあります。
自分が自分でないような感覚に支配されていて、自分が何故この世に存在するのか分からなくなります。
Case4 母は娘を支配下に置きたかっただけ
私の母は過干渉タイプの毒親でした。
母の言うことは全て正しいのだから、言うことを聞くのが良い子だというのが口癖です。
言うことを聞かない子は要らないと言われてきました。
門限を決められているのに何時に帰るか聞かれ、その時間が近づくと電話やLINEが入るようになり、返事をしないと何十回と着信やLINEを入れてきます。
多いときは着信が30回も入っていたこともあります。
私はこれまで一度も門限を破ったことはありません。
母は専業主婦なのに自分だけ家事をするのは嫌だからと言うので。毎日の洗濯と朝晩の食事の支度は私がやっています。
母は掃除だけやっていてあとはTVを観ているだけです。
だから私には友達と遊ぶなど自由な時間はありません。
もしかしたら母は私を家に縛り付けておくために、家事の殆どをやらせているのかもしれません。
母から度重なる暴言や暴力や干渉を受けてきて、私はこれまで何度も自傷行為を繰り返してきました。
母はそんな私の気持ちに気付かないふりをしています。
何をしても私の苦しい気持ちは母に伝わりません。
そんな母でも私にとってはかけがえのない母親です。
機嫌が良いときの母は心から大好きですし、母に認めてもらえた気がして嬉しくなります。
だから母の機嫌が悪くならないように、母の言いつけは全て守っています。
その状態をカウンセラーに相談してみました。
私と母は共依存状態になっているそうです。
本当の優しさとはお互いを尊重し、依存を捨て自立することだと言われました。
これまで全てを母の言う通りに生きてきた私は、自分で考えて自分の意思で行動するという、単純なことが出来ない自分に気が付きました。
考え方を変えるのに時間がかかりそうです…
Case5 母は娘より男を選んだ
私が中学1年のころに母と父が離婚しました。
原因は父の度重なる不倫発覚でした。
母は経済力がなく独りでは居られない人で、すぐ他の男性を自宅に住まわせ始めました。
私はその男性から性暴力を受けるようになります。
触るのを拒否すると殴る蹴るの暴力を受けますから、この頃から人の顔色ばかり気にするようになりました。
暴力が怖くて性暴力を我慢するしかなかったのです。
母に性暴力のことを話して助けて欲しいと懇願しました。
母はすぐにそのことを男性へ抗議してくれましたが、男性は逆切れして家を出て行ってしまったのです。
男性がいないと不安定になってしまう母は、男性に謝罪して家に連れ戻してしまったため、結局性暴力がなくなることはありませんでした。
高校生になった私は性暴力から逃れたい一心で、友達の家で寝泊まりする日が増えていきました。
すると母から「男性と仲良くしてほしい」と、それは男性と寝て欲しいという意味だったのです。
私は母のために売られたことを知りました。
もう体を触られるのは嫌だと母に訴えると、それを聞いた母は烈火のごとく怒ってきました。
「してくれないと私は捨てられてしまう!」と。
母は自分の安定のために平気で娘を差し出してしまう。
私には味方がひとりもいないことに絶望しました。
社会人となり家を出た私は性暴力からも解放され、ようやく家が安らぎの空間になりました。
私が実家を出てから男性は母と別れたようです。
現在母は一人暮らしですが恋人がいるためか、私にあまり執着してこなくなりました。
私は母の寂しさのために利用されたことを、恨みに思う自分と母に愛されたい自分がいて、ふとしたときに涙が出て止まらなくなったり、母に捨てられた無価値な自分に絶望を感じます。
未だに過去に囚われ続けている私は、ある意味母に依存しているのかもしれません。
■毒親もひとつの形と尊重する
毒親から離れる。
毒親を忘れる。
毒親と縁を切る。
毒親と感じたあなたの気持ちを尊重することは、大事なことですし実行することでしか、親の悪影響を断ち切る方法はありません。
人は絶対と言っていいほど変われませんから。
しかし毒親にこだわり続けてしまうのは、毒親から自立し依存を解くことから逆行しています。
いつまでも依存し続けているのは毒親ではなく、あなた自身であると言えるでしょう。
毒親との関係を完全に断つことは意外と簡単です。
連絡手段を断ちたいなら電話番号を変えたり、LINEならばブロックをしたり既読無視したり。
引っ越して住所を変えることもできるはずです。
人間関係を断つ強力な手段はいくらでもあるのに、毒親に囚われ続けて苦しんでいる方は。
敢えて手段を行使しない理由について、自分の心に向き合ってみる必要がありそうですね。