哲学的な論点から入ってしまうと、この問題はより難しくなると思われますが、
まず最初に、不倫男性の思考について考えてみましょう。
結婚をすると、男性は「愛」より「責任」の比重が大きくなります。
というよりも、結婚をしてしまえば、男性にその選択以外の余地はないと言っても過言ではありません。
男性は、結婚前はとかく結婚を渋るものですが、いざ結婚してしまえば、
開き直るしかなくなり、途端にまな板の上の鯉となります。
妻に女性としての魅力が無くなろうが、家事放棄されようが、小遣いを減らされようが、
喧嘩が絶えなくなろうが、妻と離婚するリスクを考えれば、大抵のことを我慢するより他ありません。
家族のために働き蜂と化し、余計なことは考えず、ただ、家と会社を往復するしかない。
妻と向かい合って議論を申し込んだところで、向かい合えば向かい合うほどに、
喧嘩の火種が生まれてしまうし、致命傷を負うのは大概夫のほうでしょう。
結果、「人間だから入れ違いがある位がベター」という落としどころに自ら落とし込み、
これで悔いはないと思い込むに至るのです。
そんなとき、色褪せた毎日の中で突然現れた、久しぶりのときめきと、
男の快楽を与えてくれる彼女に出会ってしまった男性。
だらしないところを見せても怒られることはないし、面倒臭いことを言って困らせることもない。
偽りのない、まっすぐな愛情を注いでくれて、こちらの求めに応じてセックスもしてくれる。
「亭主元気で留守がいい」を体現した妻とは異なり、別れ際には涙ぐむいじらしさを見せる彼女。
「今度はいつ会えるの?」と不安を覗かせる彼女。
大概女性は、男性の都合に合わせようとしますし、主導権がない分、余計に不安要素が大きくなります。
それを、純粋に彼女から愛されているのだと勘違いして
「すぐ会えるよ」「今度会えるのが楽しみだ」と、一人前向きな男性。
それだから、内心で彼女が寂しいと思っていることに気が付かないのです。
そんな彼女の心の内側を、男性は全く分かってないのです。
確かに、「愛しい」のは、妻と彼女とどちらなのかと問われれば、彼女のほうに決まっているでしょう。
だから男性は、「本当に愛しているのは君だけだ、妻とは家族として道義的責任上繋がっているだけ」という、
よくある不倫の常套句を口走ります。
過分なプレゼントをするのも、まめに電話やメールをするのも、
彼女に対して努力しないと離れていってしまう、ということが分かっているからです。
男性にとって、唯一の癒しとなる存在を、とにかく、ただ今は失いたくない。
しかし、それは果たして「愛」と呼べるものなのでしょうか?
妻は、そんな夫の変化に気が付きながらも、見て見ぬ振りをして、それなりにやってくれていると思う。
妻には不倫がバレないように、家庭では上辺だけでも平穏を保てればそれでいい、
男性が意識しているのは、あくまで保守的な考え方です。
一方で彼女は、そんな状況を決して良いとは思っていませんが、
男性の状況に対して懸命に理解を示そうとし、それでも男性に尽くすことで、
自己犠牲を伴う「純愛」だと考えています。
そう思い込まなければ、自分の状況を受け入れられませんし、自己否定は絶対にしたくないからです。
不倫のために、妻との離婚というとんでもないイバラの道を敢えて進むような男性は、
果たしてこの世の中に一体何%いるでしょうか。
大抵の人は、世間体と日々の生活を重んじますから、
面倒臭い話し合いなんて後回しにしたがりますし、意識的に避けるのが普通でしょう。
男性は、妻と彼女との関係のトライアングルを、綱渡りしながらも、
なんとなく上手くハンドリングできている現状を少しでも長く維持しようと考えています。
しかし、そのトライアングルが進行していく過程で、多くの女性が現実の虚しさに直面し、
我慢が限界に来てしまい、結果的には不倫を解消するに至ってしまいます。
二人の夢のような愛の世界は、甘美だった時間は、優しかった言葉は、
世間では全くまかり通らなかったことに、第三者が介入してきたときにようやく気付きます。
その途端、それまで、現実に目を背け、敢えて見ることを避けてきて、
見たくなかった不倫相手のズルい顔が見えてきます。
彼女との関係が、そこまで行き着いてしまうと、もはや不倫は成り立たなくなり、関係は終焉へと向かいます。
それでも、男性にとっては大したことではないのでしょう。
何故ならば、結果的に、男性は何も失わずに済むことが多いのだから。
彼女が存在しなければあり得なかった、甘美な時間と、心のときめきと、刺激的で官能的なセックス。
それらとは全く無縁な元の生活に戻るだけであり、妻との退屈な日々が再び始まるだけです。
その後、妻から冷たい仕打ちを受けるかもしれない代償は、妻を裏切り快楽をむさぼった罪でしょう。
妻からぞんざいに扱われる老後も、ある程度覚悟しておかなければなりません。
それに対し、戻る場所がある男性とは違って、彼女は愛やお金や時間など、何もかもを失うことになります。
それだけではなく、ともすれば親兄弟や、友人までも失ってしまうかもしれません。
社会的にも、精神的にも安心を得たい女性にとって、
不安定な不倫関係は、継続し難く大変辛いものではないでしょうか。
それ故、大抵不倫に終止符を打つのは、女性のほうからとなるようです。50
精神的な変調に悩まされ、とにかく疲れ果ててしまうのですから、別れを切り出されても仕方がありません。
男性からしてみたら、彼女にプレゼントしたり、旅行をしたり、
とにかく彼女に対してマメに尽くしてきたつもりなのに、何故捨てられるのだろう?と思うのでしょう。
しかし、問題はそこではないのです。
代わりを与えてあげたから愛欲を貪っても良いだろうし、彼女も満足なのだろう、という単純なものではありません。
快楽だけを共有するという都合のいい状態を、男女とも平等に楽しめる、
ギブアンドテイクな状況ならばまだ良いのでしょう。
しかし、「確信もなく、ただ男性を信じてひたすら待ち続ける」という行為は、
純粋に愛しているからこそ可能なことですが、
その裏で相当な精神的苦痛を強いられるものだということを、男性は知るべきです。
だから、彼女は精神的に耐えられなくなってしまい、最後は彼女のほうから不倫に終止符を打つことになるのです。
男性には、そんな不倫の辛い最期を覚悟した上で、不倫をすることをお勧めします。
期待に応えられなかった自分に不甲斐なさを感じたり、彼女に対して申し訳ないと思うならばまだしも、
間違っても自分が手酷くフラれてしまったような、被害者的な顔をしてはなりません。
そして不倫をしている女性は、何よりもまず、自分自身を一番大切にすることを心掛けてください。
問題を抱えたまま、自分の本心に見て見ぬふりをして、そこで安定してしまうことは、大変危険なことです。
女性が本当の愛を追求しようとして、自己犠牲的な愛から不倫関係を続けたとしても、
最後は必ず女性がひとり惨めになってしまうのは、火を見るより明らかです。
一時の快楽を欲しがるだけの男性なのか、
それとも女性の幸せや心の安定を真剣に考えてくれる男性なのか。
不倫の終焉を切り出したときこそが、
男性の本心がハッキリ透けて見える良いチャンスなのかもしれません。
そのとき、女性が一番大切にしたいものは何かを、取り違えることなく、
しっかり見定められるよう、過去を振り返って自身を内省していくことが、
人生の軌道修正にとって最も大切なことです。